<オープン戦:巨人7-6阪神>◇10日◇伊勢

 プロ野球草創期に活躍した元巨人沢村栄治氏、元阪神西村幸生氏の生誕の地である伊勢で、65年ぶりに伝統の一戦が開催された。巨人は沢村氏の背番号14、阪神は西村氏の19でグラウンドに立った。雪が舞う寒さの中、巨人ドラフト1位の小林誠司捕手(24=日本生命)が3点を追う8回、オープン戦1号の逆転満塁本塁打で開幕1軍入りをアピール。チームの未来をけん引する坂本は、永久欠番の「14」の重みをかみしめながら、技ありの適時打で頼もしい姿を見せた。

 ルーキーが巨人の歴史に新たな光を差し込んだ。球場リニューアル第1号を小林が飾った。3点を追う8回無死満塁。左翼席場外にオープン戦1号の満塁アーチをかけ、試合をひっくり返した。「偉大な先輩が築かれたジャイアンツで、大好きな野球ができる。感謝したいです」と歴史の重みをかみしめた。課題の打撃で初球を狙って逃さず、開幕1軍を引き寄せても「たまたまホームランを打てた」と謙虚。躍動する姿と対照的だった。

 大先輩の思いをかみしめプレーしたのは坂本も同じだった。セレモニーから神妙だった「14」は、4回2死一、三塁、一時勝ち越しとなる適時二塁打を放った。どぎつい内角球に対し、左肘を体から逃がし、バットを振り抜く匠(たくみ)の技で左翼線に運んだ。「偉大な先輩の背番号を背負って、重みを感じながらプレーした」と真っすぐだった。

 今季で球団創設80周年を迎える巨人と、来季が80年の阪神による伝統の一戦。伊勢市での対戦は1949年の沢村、西村両氏の追悼試合以来。リニューアルされた倉田山球場には、8901人の観客が集まった。きれいに整った人工芝、完備された照明。雪が降って中断してもへっちゃらだった。今では当たり前の環境も、沢村氏が生きた時代は、思う存分プレーすることさえかなわなかった。現役中に2度徴兵され、野球を中断。天才は手りゅう弾を投げたことから生命線である右肩を痛め、3度目の徴兵で命を落とした。

 青年坂本は、年を重ねるにつれ、志を戦争で断たれた先人に比べ、自分がいかに恵まれた環境であるかを知った。10年の秋季キャンプ中、鹿児島県の「知覧特攻平和会館」を訪れた。特別攻撃隊員の遺品や手紙を見て、こう言った。

 坂本

 戦争で、僕たちと同じ世代の方が命を落とされた。今、こうして、好きなことをやれる僕たちは幸せだと思う。そういう気持ちは忘れないように。

 悲しみも乗り越え、紡がれてきたプロ野球の歴史を受けとめた。寒さに負けず、名物の伊勢うどんをすすりながら観戦したファンに最高のプレーを披露する。野球人としての使命を果たすためだった。

 原監督は「沢村さんはジャイアンツの大先輩。西村さんは阪神の大先輩。伝説的に伝え聞いている大投手です。そういう中で試合ができたことに、意義がある」と語った。試合が終わるころ、頼もしい後輩たちを照らすように「14」の応援旗がはためく右翼席後方の空から光が差した。【久保賢吾】<小林誠司(こばやし・せいじ)アラカルト>

 ◆1989年(平元)6月7日、大阪・堺市生まれ。広陵-同大-日本生命。

 ◆サイズ

 178センチ、74キロ。

 ◆強肩

 二塁送球タイムは、1・8秒台。5日の日本ハム戦で、盗塁を刺した後に、観客からどよめきの声が上がった。

 ◆イケメンとタイプ

 球界の玉木宏と言われるほど、端正な顔の持ち主。かわいらしい女性が好きでフジテレビ・宮沢智アナウンサーは理想の女性。

 ◆愛犬家

 実家で飼っている愛犬キラちゃん(ミニチュアダックスフント)を愛してやまない。携帯電話の待ち受け画面もキラちゃんで、口癖は「かわいすぎる…会いたいわ…」。

 ◆特技

 0歳から小6まで水泳を習っていた。小6時には平泳ぎでジュニアオリンピック代表候補に、あと1歩だった。

 ◆ニックネーム

 先輩はコバ。同期はセイジ。

 ◆好物&苦手

 好物はいちご、刺し身(特にエビ)。苦手なものは、特になし。