<浪江町出身

 横山貴明

 楽天投手>

 東日本大震災の発生から今日3月11日で3年を迎える。被災地は少しずつ復興へ向かっているが、今なお元の状態からは遠い地域も少なくない。東京電力の福島第1原子力発電所を抱える福島県は、風評によるものも含め、甚大な被害を受けた。野球界にも、福島県出身の選手、指導者がいる。彼らに、故郷の「今」と、目指す「未来」を語ってもらった。楽天ドラフト6位の横山貴明投手(22=早大)の実家は、福島第1原発に近い浪江町にある。

 楽天横山は、浪江町の今を伝えることが自らの使命と感じている。「被災地を代表する選手になりたい。(楽天は)被災地出身という面も評価してくれたと思います。自分は野球しかない。野球なんてどうでもいいという人もいる。でも、去年の日本一に感動して泣いてしまったという人もいるんです」。今年、プロ野球選手となり、強い思いを持つようになった。

 生まれ育った実家からは福島第1原発が見え、人材派遣会社を営む父は原発に作業員を紹介していた。安全で生活の基盤をなすもの。しかし、3年前に全てが変わった。「父が東電の吉田所長と連絡を取っていた。報道以上に原発の状況はひどい、避難するなら東京でも全然ダメだと言われた」。震災発生時は早大のキャンプで沖縄にいた。宿舎で半信半疑、テレビをつけると津波の映像。それ以上に衝撃を受けたのは、原発が水蒸気を上げ、屋根が吹き飛ぶ姿だった。「もう終わりだと恐怖でいっぱいでした」。家族は離ればなれになり、避難生活となった。

 実家は帰還困難区域に指定され、立ち入ることはできなくなった。「友達が一時帰宅で帰った写真をネットで見る程度」で1度も戻れていない。思い出の物も置き去りのまま。復興が進まない状況に「最初はなんだかんだ帰れるでしょって思ってたけど、今はあきらめている。復興したくても出来ない。それが一番つらい」と無力感も口にする。

 進まない復興と風化していく記憶。全国の人々に訴えたいことを問われ、「浪江町を忘れないでほしい」と答えた。「大学の友達も震災の話を全くしなくなった。でも、まだ仮設に住んでいる人はいっぱいいる。周りからはそういうこと(被災地支援)を口にしすぎてプレッシャーに感じないようにと言われます。でも、自分は口にしてナンボだと思う」。自分が活躍すれば浪江町は全国の人々の心に刻まれる。戻れない故郷を守るため、野球の力を信じている。【島根純】

 ◆横山貴明(よこやま・たかあき)1991年(平3)4月10日、福島県浪江町生まれ。大堀小2年から大堀ペガサスで野球を始める。浪江中では相双中央シニアに所属。2年冬に内野手から投手に転向。聖光学院では1年春からベンチ入りし、2年夏の甲子園で8強。早大では通算26試合2勝3敗。背番号54。180センチ、79キロ。右投げ右打ち。推定年俸720万円。

 ◆福島・浪江町の今

 福島第1原発から10キロ圏内にあり、全町民2万1082人が避難生活を送っている。町のほとんどが帰還困難区域や居住制限区域となっており、自由に立ち入ることができない。帰還困難区域以外は町役場に申請し通行証の発行を受ければ、戻ることが可能。午前9時から午後4時までの7時間のみと制限がつく。