<ロッテ1-3日本ハム>◇31日◇QVCマリン

 価値ある珍記録が生まれた。ロッテ岡田幸文外野手(30)が、プロ初打席から1771打席ノーアーチの日本新記録を達成した。日本ハム戦の2回に斎藤からの死球で、1947年に本塁打0で引退した東急(現日本ハム)横沢七郎の記録を67年ぶりに塗り替えた。育成選手としてプロ入りし6年目。本塁打が打てなくても俊足を生かし、コツコツとミートを積み重ねてきた男が勝ち取った“勲章”だ。

 2回の第2打席。1点を先制してなお2死一、三塁で、岡田は斎藤から右太ももに死球を受けた。痛がることもなく一塁ベースに立ち、プロ初打席からのノーアーチ記録を更新した。「僕らしい記録だと思う。ホームランが打てなくても、ここまで使ってくれてうれしい」と素直に喜んだ。

 1回の第1打席では、カウント1-0からの139キロ外角直球をライナーで中前にはじき返しタイ記録。この打席に入るときには右翼席から「ホームラン、ホームラン、オ・カ・ダ!」という声援が飛んだ。もちろん快記録を知るファンならではの粋な応援。一塁ベースに立つと左手を上げて応えた。チームは4位と5位を行ったり来たり。この日も逆転負けで5位に転落する中で、明るい話題を提供した。

 いかにも岡田らしい快挙だ。2軍戦でもノーアーチ。高校時代も1本打ったが、いつどこか覚えてもいない。社会人の全足利時代、08年5月のクラブ選手権栃木予選で唯一オーバーフェンスをしたのが鹿沼市運動公園野球場。今や両翼100メートルの時代にあって、91・7メートルしかない。そのポール際の最前列に飛び込んだ。「めっちゃ小さな球場。他の球場だったら入っていないですよ」と苦笑い。

 まったく知らない記録だった。今春のキャンプで初めて知った。「誰かから聞いたんですが、その時は、へえそうなんですかと、聞き流していました。そんなスゴイことなんですか?」と、今でもちょっぴり半信半疑ではある。だが、ぶれない信条が、こんな記録を生んだことも間違いない。

 フリー打撃でも打球が上がるのは打ち損じだけ。常にライナーかゴロを心掛けている。「ホームランを打てる感覚がわからない。でも打てなくてもプロ野球選手でいられることで、逆に子どもたちに夢が与えられれば」と言う。そして「自分のスタイルを崩したらいけない。塁に出て投手にプレッシャーをかけ、ホームにかえることが求められている」。本塁打なしで生還すること195回。これが岡田の流儀だ。次は元阪神赤星の持つ2528打席に向かって出塁を重ねていく。【矢後洋一】

 ◆岡田幸文(おかだ・よしふみ)1984年(昭59)7月6日、栃木県出身。作新学院-日大(中退)-全足利クラブ。08年育成ドラフト6位でロッテ入団。09年3月にロッテでは初めて育成選手から支配下登録された。11年に外野手のシーズン359守備機会連続無失策のパ・リーグ新記録。11、12年ゴールデングラブ賞。内野安打の数は11~13年に3年連続でリーグ最多。177センチ、70キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸4000万円。家族は夫人と3女。

 ◆横沢七郎(よこざわ・しちろう)1913年(大2)1月27日、台湾出身。慶応商工-慶大-マキノキネマ-コロムビアを経てプロ野球発足の36年からセネタースで主に三塁手としてプレー。47年に東急で引退するまで通算448試合、1465打数263安打(打率1割8分)。引退後はパ・リーグ審判を17年務めた。02年に89歳で死去。

 ▼ロッテ岡田がデビューから1773打席連続で本塁打なしとなり、36~47年横沢七郎(東急)の1770打席を更新するプロ野球最長記録となった。岡田はイースタン・リーグでも通算241打席で本塁打がない。デビューからの条件を除くと、連続打席本塁打なしの上位は(1)赤星憲広(阪神)2528打席=05~09年(2)東出輝裕(広島)2393打席=05~10年(3)日下隆(近鉄)2088打席=53~58年。

 ▼岡田に次いでデビューから本塁打がない打席数が多い現役選手は松本哲(巨人)の1329打席。