<明治神宮大会:桐蔭横浜大2-0亜大>◇13日◇大学の部準決勝◇神宮

 創部7年目の桐蔭横浜大(関東5連盟)が初の決勝戦に進出した。亜大との準決勝は0-0の7回、2死後の敵失から一、二塁と攻め、なおも喜納淳弥遊撃手(2年=成立学園)が二塁打して2点を奪った。このリードを小野和博投手(3年=磯原)が5安打完封して守り抜いた。亜大のエース東浜巨投手(4年=沖縄尚学)は登板機会なく敗退した。14日の決勝は、タイブレークで辛勝した法大(東京6大学)に挑みかかる。

 二塁塁上で跳びはねた喜納の姿が、そのまま桐蔭横浜大の勢いを表していた。「プレッシャーは感じなかった。ここで(点を)取らないと負けると思った」と喜納。初めて二塁を踏んだ最初で最後の好機。亜大・九里のチェンジアップをとらえると、打球は右中間を破った。「変化球を思い切り振ろうと思っていました」。これがチーム3安打目。喜納は11日の大体大戦で逆転3ランを放ち、またもやひと振りで決めた。

 2年連続の出場。昨年は初戦敗退だった。それが今大会に初勝利を挙げると、初の決勝まで進出した。斉藤博久監督(46)は「できすぎです。よくここまで来た」と振り返った。系列校の桐蔭学園は高校球界の名門だが、大学は全国では無名に近い。練習グラウンドも高校が優先され、大学は通常午前8時から正午までに限られる。それでも大会前には、5カ所のフリー打撃を行い、待機する選手も10分連続のティー打撃を徹底してきた。マウンドの1メートル前から投じる打撃練習もあった。それが勝負強い一打につながった。喜納も「チャンスになれば、打てる自信はあります」といってのけた。

 決勝の相手はリーグ開幕前の9月2日にオープン戦を行った法大だ。三嶋と対戦して0-5の完封負けだった。喜納は「僕はその試合は出ていません。気持ちでぶつかります」と意欲を口にした。斉藤監督は「9月のときより今の方が勢いがある。明日も小野で行きます」。先発予告までして、今の勢いのままぶつかっていく。【米谷輝昭】

 ◆桐蔭横浜大

 1988年(昭63)に桐蔭学園横浜大学として創立。97年から現校名に変更。硬式野球部は06年創部。同年春に神奈川大学リーグの2部に加盟するといきなり優勝。1季で1部昇格した。その後は2部降格を経て、09年春に初のリーグ優勝。全日本大学選手権に初出場した。明治神宮大会は2年連続2度目。リーグ優勝4度。斉藤博久監督は水戸短大付(茨城)の監督として01年センバツに出場。主なOBに富士重工・東明大貴投手。所在地は横浜市青葉区鉄町1614。