ジムでは計11人が世界王座に挑戦したが、米倉会長は強気なマッチメークでも知られる。73年、ガッツ石松の世界王座再挑戦は敵地パナマで、相手は「石の拳」と呼ばれた強打のデュランだった。90年には、大橋秀行に防衛戦でのちに25度防衛のロペス(メキシコ)と対戦させた。

 ジムはJR山手線沿いの東京・目白にある。木造2階建ての1階がリングと板張りの広々とした練習場で、2階は会長室に寮。リング周りや壁には、所狭しとパネルやポスターに標語が張られている。昔ながらのたたずまいでまるでボクシング学校のようだ。練習は1日4部制で選手は一斉に合同練習する。シャドーボクシング、サンドバッグ打ちなどのメニューを15ラウンドこなすのが基本。会長の大きな掛け声が響き渡り、トレーナーがタオルの鉢巻き姿というのも1つの伝統だった。

 昨年4月には東洋太平洋スーパーミドル級で松本晋太郎が、ジムで8年ぶりに王座を獲得し、最後の王者になった。米倉会長は「あと2人は世界王者を」と話していたが、ジムは栄光の一時代を築いた拳闘道場としての歴史にピリオドを打つ。【河合香】

 ◆米倉健司(よねくら・けんじ)1934年(昭9)5月25日、福岡・直方市生まれ。福岡高でボクシングを始め、明大で全日本選手権制覇。56年メルボルン五輪に出場し3回戦敗退。58年に日興ジムからプロデビュー。59年に史上最短の5戦目で日本フライ級王座獲得、7戦目に世界フライ級王座に挑戦したが判定負け。60年にバンタム級で世界再挑戦も失敗。東洋同級王座を5度防衛したが62年に陥落で引退。右の技巧派ボクサー。63年にジムを開き、86年から日本プロボクシング協会会長を4年間務めた。