ボクシングの名門ヨネクラジム(東京・豊島区目白)が、8月で幕を閉じる。ジムが27日に発表した。米倉健司会長(82)が体調を崩して3月に入院。選手指導やジム経営が難しくなり、一代限りでの閉鎖を決断した。1963年(昭38)の開設から、柴田国明を皮切りに著名な世界王者を5人育て、伝統と歴史を感じさせる独特の練習やジムで一時代を築いた。8月に所属選手の最後の試合をもって、54年間の歴史に幕を下ろす。

 同ジムで世界王者になった選手のコメントは以下の通り。

 ◆大橋秀行氏 寂しい。思い出が詰まった場所。前々から聞いてはいたが、こんな悲しい気持ちになるとは。ボクシングを始めた横浜高校の部がなくなり、ヨネクラジムまでとは思わなかった。どれだけ汗をかき、自信を失ったり、喜んだり。喜怒哀楽の中で世界王者に2度育ててもらった神聖な場所。なんとか続けられないかとも思ったが、会長が決めたこと。目白にあってのヨネクラジムでもある。ジムを開いてからは、会長としてもトレーナーとしても、全部マネをしてきた。世界王者が3人(川嶋、八重樫、井上尚)出たのも当然のこと。選手として10年やる中で、会長を見てきて、それがどれだけ役立ったか。オレがしっかりやっていかないといけないと、あらためて気を引き締めていく。ヨネクライズムを継いで、追いつき追い越せで、世界王者をどんどん育てていきたい。

 ◆柴田国明氏 一時期ジムを離れていたが、ボランティアでジムを手伝ってきた。会長や家族が決めたことで従うが、最初の王者でもあり、なんとかこのヨネクラのブランドをなくさずにできないかと思ってきた。

 ◆中島成雄氏 寂しいに尽きるが、時代の流れかなとも思う。ボクはアマ選手で、プロはやるつもりなかった。プロは大学(駒大)の延長線上でやったが、大学の練習と同じスタイルでやりやすかった。会長の厳しい指導があって、世界王者になることができた。

 ◆川島郭志氏 高校を出てからの思い出が詰まっていて、人生の基礎を作ってくれた。会長の決断は尊重するが、非常に寂しいの一言に尽きる。一斉にやる練習で集中もできたと思うし、世界王者になることもできた。会長がセコンドについてくれるのも励みだった。亡くなった松本、川島トレーナーらもいて、いろんな人にも育ててもらった。今も基本を大事に会長のまねをして、指導の参考になっている。