ボクシングのWBA世界ミドル級王座決定戦に臨むロンドン五輪金メダリスト村田諒太(31=帝拳)の連載「世界の頂から頂へ」の第2回は、日本人でミドル級のベルトに迫った男たちの証言。全階級で最も層が厚い人気階級の現実とは-。ともにWBAタイトルに挑んだ佐藤幸治(36)石田順裕(41)両氏に聞いた。

 もう50歳を目前にしたジャマイカ人指導者の動きがまねできない。佐藤は強烈な先制パンチを浴びていた。04年、米国ラスベガス。ミドル級含む元3階級制覇王者マッカラムが、パンチングボールをリズム良く打つ動きが、どうしてもできない。「速く、軽やか。日本でいう軽量級の動きを重量級がやっていた。衝撃で」。

 日本ではアマチュアで敵無しだった。日大進学後は全日本選手権5連覇(03年大会決勝では村田に勝利)を含む13冠。プロ転向し、帝拳ジムに求めたのが半年間の米国武者修行だった。世界各国から猛者が集う中、マッカラムとの最初の練習から過酷さは予想できた。「スパーが終わると、腹が痛い。寝られない時も。『起きたら日本なら』と何度も思った」。その現実が世界の壁だった。

 それでも心は折れなかった。たどり着いた世界初挑戦は15戦目。09年に敵地ドイツでWBA王者シュトルムに向かった。そこでさらに高い壁を知る。構えようとすると左ジャブをもらう、の連続。佐藤もジャブの名手だったが「僕のジャブは偽者だった。世界王者は住む世界が違った」。ほぼ左ジャブだけで圧倒され、7回TKOで完敗。2度目のチャンスはこなかった。

 佐藤から約4年後、モナコで同じWBAのベルトに挑んだのが石田だ。現在3団体統一王者としてミドル級に君臨するゴロフキン(カザフスタン)と拳を交えた。「モナコ大公も見にきていた」と、その注目度を振り返る。