【セブ(フィリピン)31日=藤中栄二】世界初挑戦を控えた亀田和毅(22=亀田)が、減量の影響で病院に直行する事態となった。セブ市内で行われたWBO世界バンタム級タイトル戦の前日計量に出席。リミットより200グラム少ない53・3キロでパスしたが、試合前の検診で衰弱が激しいと診断され、病院で点滴を打った。苦しい減量を乗り越えた和毅は、53・1キロで計量クリアした同級王者パウルス・アンブンダ(32=ナミビア)に8回KO勝ちすることを予告した。

 両手を前に出し、そっと体重計に乗った。先に53・1キロでパスした王者を横目に和毅は、計量結果を待つ。リミットよりも200グラムアンダーの53・3キロに「つらかったな。(体重計に)乗る前はちょっと緊張した」とげっそりした顔で笑った後、筋肉と骨だけになったような肉体を誇示した。

 腹筋は彫刻のように割れていた。首は細く、ほおがこけた。「こけすぎて、コケコッコーや」と冗談が飛び出たが、直後の検診で担当医から点滴を命じられた。計量に同席したWBOバルカルセル会長が心配し、あわてて市内の病院を手配。和毅は「まるで病人やな。点滴を打ってくる」と、すぐに病院へ直行した。

 前日の調印式でアンブンダに首をつかまれた。「少し押さえられただけ。絞められてない」と、のど輪にも平然としていたが、減量の影響でのどを痛めた。水分補給できず、セブの乾燥した気候で、のどがかれて声が出なくなった。

 25日に現地に入った後、納豆巻きとバナナしか食べていない。空腹で3日前から不眠が続いた。31日10時(現地時間)の計量前の食事は、前日30日の調印式前、午前中に口にしたバナナが最後。24時間、何も食べずにいたことになる。30日の夜に体重をチェックした時は100グラムオーバーで、体脂肪3%の状態だった。

 さらに長兄・興毅が「一家全員でプレッシャーをかけとる感じ」という重圧も加わり、自身の体重を細かくチェックすることも忘れていた様子。「もう落ちん」という状態にまで追い込み、丸1日は完全に絶食して、リミットを200グラムも下回るほど減量に没頭した。昨年4月のエルナンデス戦以来というバンタム級の減量をクリアし「来年はスーパーバンタム級やな」と、階級アップを示唆するほど衰弱していた。

 この日夜は支援者が日本から持ち込んだ高級豚肉を日本料理店で豚しゃぶにして食べた。「これで4キロぐらい体重を増やして試合に臨める」と笑った。減量のきつい階級での世界初挑戦だが「ボクシングといえばバンタム級。黄金のバンタム級で世界奪取したいんや」と、長兄の興毅も王座を保持する同級へのこだわりを示した。

 計量クリアの喜びも加わり、王者アンブンダ撃破への気持ちも高ぶった。「8回ぐらいにKOやな」。史上初の3兄弟世界王者へ、そして日本人初のWBO世界王座奪取への準備は整った。「明日は歴史が変わる瞬間。絶対に王者になります」。亀田家の最終兵器は、派手な世界戦デビューを確信していた。

 ◆亀田和毅(かめだ・ともき)1991年(平3)7月12日、大阪市生まれ。08年11月、チャブレ戦の2回KO勝ちでプロデビュー。10年8月にWBC世界ユース・バンタム級王座を獲得した。12年4月にはメキシコでWBC世界バンタム級シルバー王座決定戦でエルナンデスに10回終了TKO勝ちして同王座を獲得。身長170センチの右ボクサーファイター。

 ◆過酷な減量

 試合日から逆算して食事量を減らし、最後は絶食でリミットにするのが通常。しかし大幅な減量を強いられた選手は、無駄なぜい肉がない体から水分を抜くしかない。例えば亀田兄弟はジムにストーブを数台置いた部屋を設置し、室温を50度近くにして汗を絞り出す。他選手では飲まず食わずでサウナに行き、水分を出した影響で倒れた例がある。下剤を飲んだり、無糖ガムをかんでつばを出してグラム単位を調整する選手もいる。本当に減量苦となった時、血を抜いて計量に臨むケースがあるという伝説もある。