◇25日◇東京・警視庁術科センター武道館◇66キロ、81キロ、100キロ、100キロ超級

 バルセロナ五輪78キロ級金メダリストの吉田秀彦(32=新日鉄)が、事実上の引退を表明した。100キロ級で決勝に進んだが、鈴木桂治(21)との対戦で背負い投げを放った際に右太もも裏を痛め、棄権。試合後に「世界の舞台に立つのは辞めようと思う」と語り、今後は五輪や世界選手権の強化選手を辞退する考えを明かした。鈴木は4年連続優勝。66キロ級は北川勝広(23=ダイコロ)81キロ級は秋山成勲(26=平成管財)100キロ超級は棟田康幸(20=明大3年)が初優勝した。

 吉田の最後の試合は壮絶な幕切れだった。決勝開始から1分29秒。背負い投げで鈴木を担ぎ上げた瞬間、右足太もも裏に「ブチッ」と鈍い音がしたという。両者とも畳に倒れたが、吉田だけが顔をゆがめて動けなかった。試合再開後も右足を引きずり、鈴木と組み合うと悲鳴を上げた。組み手争いもままならなず、2分30秒で試合をあきらめた。表彰式も辞退するしかなかった。

 シドニー五輪(90キロ級)から約1年ぶりの個人戦には、ある決意を胸に臨んだ。「(講道館杯)体重別選手権は今回が最後。もう世界の舞台に立つのも辞める」。大会前から第一線を退く意思を関係者に伝えていたが、試合後に正式表明した。理由として「自分が満足できる練習量をこなせなくなった」と気力、体力の限界を挙げた。この日の決勝で「自分で技をかけてケガをした」ことが決意を動かぬものにした。

 22歳のバルセロナ五輪で金メダルを獲得してから3大会連続で五輪に出場した。99年世界選手権(バーミンガム)では7年ぶりに世界王者に返り咲いた。華々しい戦績の陰にけがとの戦いがあった。左足首じん帯、腰、肩…。象徴的だったのは昨年のシドニー五輪3回戦で負った右ひじ関節脱きゅうだった。この重傷で個人戦に1年のブランクをつくり、体重などの調整にも支障をきたした。だが、東海大・今井との1回戦は開始56秒、天理高・穴井との2回戦は20秒で1本勝ちした。左手1本で相手の動きを止める組み手や試合運び、豪快な1本勝ちで観衆や関係者をうならせた。

 上村春樹強化委員長は「これからも若手に刺激を与えてくれるはず」と話した。吉田は「これからは明大監督としての責務をまっとうしたい」と後継者育成に力を注ぐ。【豊本亘】

 

 

 

 

 

 ◆吉田秀彦の世界大会全成績◆

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 年

 大会名

 

 

 

 

 階級

 

 

 

 

 成績

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 91

 バルセロナ世

 

 78キロ

 

 

 3位

 92

 バルセロナ五

 

 78キロ

 

 

 優勝

 93

 ハミルトン世

 

 78キロ

 

 

 2位

 95

 幕張世

 

 

 

 

 86キロ

 

 

 2位

 96

 アトランタ五

 

 86キロ

 2回戦敗

 99

 バーミンガム世

 90キロ

 

 

 優勝

 00

 シドニー五

 

 

 90キロ

 3回戦敗

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 ※世は世界選手権、五は五輪