気になる静岡県テレビ局のアナウンサーを紹介する連載「静岡アナ 気になリスト」。静岡第一テレビ(SDT)杉岡沙絵子アナ(25)の「その2」です。生まれ育った広島の大学で「管理栄養士」を目指していたはずが、縁のなかった静岡で人気アナウンサーに。その理由と経緯を聞いてみました。

 -アナウンサー志望はいつから

 大学3年生からです。地元の広島テレビでお天気キャスターに選んでいただいたのがきっかけです。就活の時期で、「管理栄養士の資格を持ったアナウンサーはいない」と思い、これも生かせればと考えまして。

 -アナ試験は早い

 気付いたら、キー局はほとんど終わってました。何も分からないので、とりあえず、アナウンススクールの3日間コースを受けに上京しようと。夜行バスで12時間かけて行きました。

 -圧倒されました

 はい…。そのコースが1年生から通う生徒の最終強化だったので。でも、友達もできて、「アナウンサー試験のエントリーシートは特殊だから、色を付けたり絵を描いたりとかした方がいい」と教わって。

 -受験した局の数は

 エントリーは約20社です。実際に受けたのは、名古屋、大阪、広島…静岡。

 -広島テレビは

 受けてダメでした。やっぱり、そういう(アルバイトしていたから有利)のじゃないですね。

 -SDTの試験は

 遅くて4年生の6、7月でした。カメラテストの時、食リポがあって、(静岡の名産)黒はんぺんが出てきたんです。西では、はんぺんは「白」なので、その物体が何だか分からず、「どうしよう」と思いましたが、とにかくしゃべって、食べて「わ~っ、おいしい!」って。

 -よくパスしましたね(笑い)。最終試験は

 大学の(管理栄養士)実習の2日目と重なっていたんです。「あっ、これは神様が『あきらめろ』と言っている」と思いました。でも、就活担当の先生から「受けるべき」と強く言われ、受験しました。先生がいなかったら、私はここにいなかったです。ちなみに、休んだ実習の代わりに他の生徒より10倍多いリポートを提出し、別の日に実習に行きました。

 -管理栄養士の資格は

 取りました。大学卒業式の1週間後に国家試験でした。3月半ばですね。当時の合格率が30%。人生で一番勉強しました。

 -授業も大変で

 実習は計3回行きました。老人ホームの調理場に立ち、タマネギ20キロ、キャベツ15キロを切り続ける作業もありました。病院実習では、患者さんの病態ごとの栄養管理を考えました。

 -経験は生きてますか

 はい。番組と連動の雑誌「D-sports SHIZUOKA」で、連載「アスリート勝負メシ」を担当しています。メニュー考案、栄養計算、調理、食材の買い出しもやっています。次号は今月17日発売。お手に取ってご覧下さい。

 上司の伊藤久朗アナウンス室長は、杉岡アナ採用理由の一部を明かした。「その時、新しいスポーツ番組を担当できる女性アナを求めていたんです。その機運の中、受験者に少ないショートカットで、カープ女子でスポーツ好きと、イメージが一致しました」。「その3」では、杉岡アナの仕事、プライベート、将来について聞いています。【柳田通斉、鈴木正章】(つづく)

 ◆杉岡沙絵子(すぎおか・さえこ)1990年(平2)11月10日、広島県出身。広島女学院大生活科学部管理栄養学科卒。13年に入社。担当番組は「D-sports SHIZUOKA」「◯ごと」「ごちそうカントリー」。生粋のカープ女子。血液型O。