プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月31日付紙面を振り返ります。1998年の1面(東京版)は、「仮面ライダー」などで知られる漫画家、石ノ森章太郎さんの死去でした。

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 「サイボーグ009」「仮面ライダー」などで知られる人気漫画家の石ノ森章太郎(いしのもり・しょうたろう、本名・小野寺章太郎=おのでら・しょうたろう)さんが28日午前2時33分、リンパ腫(しゅ)による心不全のため都内の病院で死去していたことが30日、明らかになった。60歳。悪を懲らしめる等身大のヒーローを数多く生み出し、子供たちに夢を与えた巨匠は、「サイボーグ009」を完結させる夢を果たせず病に倒れた。同日、身内だけで密葬が行われ、遺体は東京・葛飾区の四ツ木斎場でだびに付された。自宅は東京都練馬区桜台6の28の4。故人の遺志で葬儀・告別式は行わず、3月以降に「しのぶ会」を開く。

 石ノ森さんは「サイボーグ009」の完結編の構想を胸に抱いて逝った。10人いたアシスタントにも告げず、石ノ森さんは病床でストーリーを考え、長男で俳優の小野寺丈(32)に伝えていた。時は2012年、神々とサイボーグ戦士たちが戦う「天使編」という設定だった。石ノ森さんの遺体は、この日午後4時すぎに東京・四ツ木斎場でだびに付されたが、丈はひつぎに天国の父が続編をかけるようにと、「仮面ライダー」のぬいぐるみ、自ら書いた父への手紙とともに愛用のペン、原稿用紙を納めた。

 石ノ森さんが悪性のリンパ腫を発病したのは1992年(平4)4月だった。手術は行わず、点滴による化学療法を続けていたが、容体が悪化した昨年9月に入院生活を始めた。病院では作画こそできなかったが、ベッドの上で隔週漫画誌ビッグコミックに連載中の「ホテル」の原案を練りアシスタントに指示を与え、一時は退院し仕事に復帰した。しかし昨年11月後半に病状が悪化し始め、再入院した。そして、「“009”は未完なんだ。あと10年生きて最後までかきたい」と、ときには痛みをこらえながら繰り返し話した。

 化学療法につきものの副作用もなく、苦しむ様子もなかった。家族は病名をひた隠しにしたが、「どうやら、不治の病と気付いていたようです」(丈)。正月をすぎ、声がほとんど出なくなった。25日の誕生日で還暦を迎えた石ノ森さんは、家族から贈られた赤いちゃんちゃんこを羽織り、ベッドの上で「大丈夫だから」とはっきりした声で話した。これが家族が聞いた最後の言葉になった。

 石ノ森さんは、28日午前2時33分に利子夫人、長男の丈、次男章さん(29)にみとられ、静かに息を引き取った。日ごろ「亡くなった後は静かにしておいてほしいな」と話していた。その“遺志”を守るため、家族と10人のアシスタント以外には、死去したことは伝えず、東京・江戸川の東京葬祭で29日午後8時から通夜を、30日午後1時から告別式を終わらせた。

 遺体をだびに付し、初七日法要を終えた後に都内のホテルで会見した丈は、「皆さまにすぐにお伝えするところですが、父の遺志もあり申し訳ございませんでした」と頭を下げた。関係者によると、現在も連載中の「ホテル」には、まだ作品化されていない石ノ森さんの原案が3本程残っている。2月いっぱいはアシスタントらが作画して連載を続けるが、3月以降は白紙という。

 石ノ森さんの遺骨は、“遺作”の連載終了に前後して、東京・池袋の祥雲寺に納められる予定だ。

 ◆初代「仮面ライダー」を演じた俳優、藤岡弘(51)

(体調が)お悪いとは全然知らず、ショックです。巨匠ぶったところのない優しい方だった。「子供たちに夢と希望を」と情熱を燃やしていた。「子供向けテレビをおろそかにしてはいけない」と語り、監督までなさったことも。私にとっても、青春のまっただ中で燃焼し尽くした忘れられない番組です。

 ◆石ノ森章太郎(いしのもり・しょうたろう)本名・小野寺章太郎。1938年(昭13)1月25日、宮城・中田町出身。同県立佐沼高2年時に「漫画少年」にデビュー作「二級天使」が掲載された。上京して手塚治虫さんに師事しながら、若手漫画家の集まっていた「トキワ荘」で暮らす。昭和40年代に「サイボーグ009」などのSF作品や、変身ブームのきっかけとなり、テレビ化された「仮面ライダー」などのヒット作を生み出した。

 デビュー当時のペンネームは、出身地中田町の旧名「石森(いしのもり)村」の漢字をあてた「石森(いしもり)章太郎」だった。86年7月1日から「石ノ森」に改名。同年、当時では異色の作品「マンガ日本経済入門」を発表し、シリーズ3作で200万部のヒットとなった。89年からは「マンガ日本の歴史」(全48巻)などの大作に挑んでいた。家族は利子夫人と2男。

※記録と表記は当時のもの