故村田英雄さんの「王将」や北島三郎の「風雪ながれ旅」など5000曲以上を手がけてきた作曲家の船村徹(ふなむら・とおる、本名福田博郎=ひろお)さんが16日、死去したことが17日、分かった。84歳。船村さんのプロフィルは次の通り。

 1932年(昭7)6月12日、栃木県塩谷郡船生村(現塩谷町)生まれ。今市中学(現今市高校)を経て、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)ピアノ科卒。東洋音楽学校の1級上には黒柳徹子がいた。そこでピアノと作曲を学んだ。戦後の焼け野原の時代にあって大衆のための音楽として演歌の道を志した。ギターの流しなどをしながら曲を作り、1955年(昭30)に出した春日八郎さんの「別れの一本杉」で注目を集めた。日本人の繊細な情緒を刺激する哀愁あふれるメロディーが持ち味。戦後初のミリオンヒット曲となった村田英雄さんの「王将」や北島三郎の「風雪ながれ旅」、鳥羽一郎の「兄弟船」、細川たかしの「矢切の渡し」などヒット曲を連発した。日本作曲家協会会長、日本音楽著作権協会会長などを歴任。1995年(平7)紫綬褒章、2008年(平20)に文化功労者に選ばれた。2016年(平28)文化勲章を受章。横綱審議委員会委員も務めた。弟子には北島三郎、鳥羽一郎、大下八郎、ムーディー松島、香田晋らがいる。