15日に亡くなった樹木希林さん(享年75)は高校卒業後の61年に文学座の研究生になり、女優人生をスタートさせた。

薬剤師になるため大学受験するつもりが、父親が気分転換にと連れて行った北海道旅行でスキーのまねごとをしたところ骨折、受験ができなかったという。

文学座では悠木千帆の芸名でデビュー。64年、TBS系「七人の孫」でお茶の間の人気者に。66年に文学座を退団し、TBS系「寺内貫太郎一家」などに出演した。同局の久世光彦氏がプロデュースし、30代前半ながら小林亜星演じる貫太郎の母親を演じた。絶妙な老け作りが話題になり、人気に。沢田研二のポスターの前で「ジュリー!」と身もだえする場面で人気を集めた。その後、久世氏の女性問題を希林さんが糾弾し、芸能マスコミを騒がせるスキャンダルになったこともあった。

77年、黒柳徹子が司会を務めた番組内のオークション企画に悠木千帆の芸名を出品して2万2000円で売却。芸名を樹木希林に改めた。

ドラマはほかに「時間ですよ」「ムー」「夢千代日記」「はね駒」など。「ムー一族」で共演した郷ひろみとのデュエット曲「林檎殺人事件」は大ヒットした。

映画の代表作に「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」「わが母の記」「あん」など。「歩いても歩いても」「万引き家族」など、是枝裕和監督作品の常連でもあった。

CMではコミカルな演技で人気だった。富士フイルム「フジカラー」のCMでの「美しい方はより美しく、そうでない方はそれなりに写ります」のせりふは樹木さんのアイデア。流行語にもなった。08年紫綬褒章、14年旭日小綬章。

私生活では、64年に俳優岸田森さんと結婚するが、4年後に離婚。73年に歌手内田裕也と再婚。別居生活を送る中、81年に内田が一方的に離婚届を提出し、希林さんが「無効」と主張し、東京地裁に提訴。「離婚無効」の判決が下った。

長女はエッセイスト内田也哉子で、映画で樹木さんが演じた役の若い頃を演じたこともあった。也哉子の夫は俳優本木雅弘。