日本舞踊家で女優の藤間紫(ふじま・むらさき、本名喜熨斗綾子=きのし・あやこ)さんが27日午後5時26分、肝不全のため都内の病院で亡くなった。85歳だった。通夜は29日、密葬は30日(いずれも時間未定)、東京都台東区上野公園14の5、寛永寺輪王殿第1会場で、近親者のみで行う。葬儀・告別式を4月に行う予定。喪主は夫で歌舞伎俳優の市川猿之助(69=本名・喜熨斗政彦)さん。

 紫さんは07年に食道静脈瘤(りゅう)で倒れたが、すぐに退院。今年も2月15日に国立劇場で行われた舞踊会に元気な姿をみせたが、その後、体調を崩し、今月に入って入院。この日容体が悪化し、猿之助や長男の元俳優藤間文彦さん、一門の弟子たち約20人にみとられて息を引き取った。

 猿之助と親しい芸能リポーターの梨元勝氏によると、猿之助は病室でスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」のセリフを語り、励ましていたという。だが、紫さんは静かに息を引き取り、猿之助はかなりのショックで、周囲も声をかけられない状態だという。

 紫さんは元日本医科大学学長の長女に生まれ、7歳から日本舞踊を始め「天才少女」と言われた。18歳で宗家藤間流家元の藤間勘十郎(後の勘祖)の内弟子となり、44年に24歳年上の勘十郎と結婚。家元夫人として流派を繁栄に導き、その美ぼうから49年に女優としてデビュー。「三等重役」「へそくり社長」など喜劇を中心に数多くの映画に出演。新国劇や商業演劇など舞台出演も多く「■東綺譚」「父の詫び状」「西太后」などで存在感を示し、高い評価を受けた。

 85年に勘十郎との離婚訴訟をきっかけに宗家藤間流のお家騒動が起こり、87年には紫派藤間流を創設。若手の指導に力を入れた。

 00年には長年のパートナーだった猿之助と再婚。猿之助の「スーパー歌舞伎」のプロデューサーとしてサポートしながら、舞台「西太后」などに主演し、92年に菊田一夫演劇賞、94年には勲4等宝冠章を受けた。勘十郎との間に3世藤間勘祖と文彦さんの1男1女があり、歌舞伎俳優の中村東蔵は実弟。※■はさんずいに墨

 [2009年3月28日9時23分

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