東日本大震災で大きな被害を受けた福島県いわき市にある故美空ひばりさん(享年52)の歌碑群や銅像が、ほぼ無傷の状態で残っていたことが26日、分かった。歌碑群から数百メートル離れた薄磯海岸地区は大津波で壊滅状態。同地区から約1・5~2メートル高台だったが、わずかな海抜差が明暗をわけた。廃虚と化した同地区だが、生き残った「永遠のひばり像」は太陽光発電を電源として作動。今もひばりさんの歌声を響かせている。

 日本の渚100選にも選ばれた薄磯海岸沿いの住宅地から数百メートル。海岸線沿いにゆるやかなカーブを上っていくと、塩屋埼灯台の下に故美空ひばりさんの歌碑や遺影碑が見えてくる。薄磯地区は大津波で壊滅状態。同地区と比べ、海抜差で目測約1・5~2メートル高台にあったことで、歌碑群は倒壊を免れた。

 同地区から歌碑に至るまで、「ひばり街道」と命名された海岸線を走る道路が約420メートル続く。「ひばり街道」は大きな亀裂が走り、津波で流されたいすや布団などが散乱。車両は通行止めになっており、徒歩でしかたどりつけない。地元いわき市の担当者も「どうなっているか、こちらが知りたい」と話すなど、被害状況は不明だった。

 海岸線に立つ灯台一帯は、大津波の被害を受けたが歌碑は残っていた。ただ、台座から少しずれ、人を感知してひばりさんが歌う「みだれ髪」が流れるセンサーは作動しなかった。映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台で知られる灯台は、海抜73メートル。波にのまれることはなかったが、ガラスが全部割れていた。

 太平洋を見つめている「永遠のひばり像」も、少し傾いて見えたが、しっかりと立っていた。ひばり像は、幼いひばりさんがヒット曲「悲しき口笛」を歌う姿をかたどったもの。歌碑から約50メートル離れたひばり街道沿いにある。ひばり像の前に立つとセンサーが働き、「悲しき口笛」「塩屋崎」の歌声が流れる。太陽光発電を電源として音楽が流れるシステムで、晴れ渡ったこの日も記者が近づくと、ひばりさんの歌声が響き渡った。

 壊滅状態の薄磯海岸一帯の住宅地では、水道、電気などのライフラインは断絶している。永遠に残るようにと建立された「永遠のひばり像」。まさに不死鳥のように立ち続け、歌い続けている。【近藤由美子】

 ◆いわき市と美空ひばりさん

 ひばりさんの最後のレコーディング曲といわれた「みだれ髪」(作詞星野哲郎、作曲船村徹=87年12月発売)が、福島県いわき市塩屋埼を舞台としていたことから、88年に同曲の歌碑、90年に同曲が流れる遺影碑が建立された。02年には映画「悲しき口笛」のシルクハットをかぶった少女姿の「永遠のひばり像」も完成。付近は「ひばり街道」として整備されている。同所には映画「喜びも悲しみも幾歳月」(57年)などで知られる観光名所の塩屋埼灯台がある。