大ヒット曲「また逢う日まで」などで知られる歌手尾崎紀世彦(おざき・きよひこ)さんが5月31日午前0時5分、肝臓がんのため東京都港区の病院で亡くなった。69歳だった。ダイナミックな歌唱力が持ち味で、和製トム・ジョーンズと呼ばれた。一昨年に胃がんの手術を受けたが、その後、肝臓と肺にも転移していた。葬儀・告別式は近親者で済ませ、喪主は兄彰彦(あきひこ)さん。後日、お別れの会を開く予定。

 尾崎さんは一昨年秋に胃がんの手術を受けた。昨年3月に再び手術を行い、以降、闘病生活を送っていた。昨年5月に予定した公演を直前にキャンセルし、その前後に当時のマネジャーとのマネジメント契約も解除。尾崎さんが長期入院したことから、東京・世田谷区内にある自宅は廃屋同然の状態となり、今年4月には女性誌が「失跡状態」と報じる騒ぎにもなった。

 しかし、尾崎さんはがんと闘い、入退院を繰り返していた。がんは昨年に肝臓、今年に入って肺にも転移した。トレードマークの太いもみあげと彫りの深い容姿、豊かな声量とダイナミックな力強い歌声で「和製トム・ジョーンズ」と呼ばれた尾崎さんだが、この半年間は食事をとることもできず、点滴に頼る生活だった。5月30日に容体が悪化。同31日未明、ハワイから駆けつけ、付き添っていた息子が1人で最期をみとったという。

 神奈川・茅ケ崎市でステーキ店を営む弟の征彦さん(66)は「27日に病院で会った。『おお、来たか』とあいさつしてくれた。夜中に連絡を受け、茅ケ崎から駆け付けたが間に合わなかった」と明かした。対面した時は「穏やかな、悟ったような顔だった」。都内の斎場で31日に通夜が、告別式は1日に営まれ、本人の希望で密葬だった。

 征彦さんによると、尾崎さんは失踪騒動も病院のテレビで見ており「おれここにいるよ」とニヤニヤしていたという。3月には自分のバックバンドが出演するライブハウスに病院から駆け付け、3曲歌ったのが最後の熱唱だった。余命を宣告されていたため、病院には前妻や前々妻も、それぞれ見舞いに訪れ、子どもや孫らにも会った。前々妻との間には長男と長女が、前妻の間には次女がいる。

 尾崎さんの父は日本人と英国人のハーフで、小学生のころからFEN(米軍の極東放送)を聴いて歌唱力を磨いた。67年にコーラスグループ、ザ・ワンダースに参加し、「キャプテン・スカーレット」など数多くのテレビ主題歌を歌い、「ウルトラセブン」で冒頭で連呼される「セブン」も尾崎さんの声だった。

 70年にソロデビューし、シングル第2弾「また逢う日まで」が大ヒット。作詞阿久悠、作曲筒美京平のコンビで、売り上げは100万枚を突破。同年の日本レコード大賞、日本歌謡大賞をダブル受賞し、NHK紅白歌合戦にも出場した。

 60歳をすぎても「また逢う日まで」を歌う時はキーを替えないのが自慢で、いい声を出すために30年以上禁煙するなど歌についてはストイックだった。私生活では2度離婚し、06年に離婚した時は長女の親権をめぐって争った。迎合することが嫌いで、嫌いな仕事は断り、先輩歌手でも意見することもあった。歌唱力だけでなく、その生き方も日本人離れしていた。

 ◆尾崎紀世彦(おざき・きよひこ)本名同じ。1943年(昭18)1月1日、神奈川県茅ケ崎市生まれ。コーラスグループ「ザ・ワンダース」を経て、70年に「別れの夜明け」でソロデビュー。翌71年に2枚目のシングル「また逢う日まで」がミリオンセラーとなる大ヒット。同年の日本レコード大賞と日本歌謡大賞をダブル受賞し、NHK紅白歌合戦にも3回出場した。