俳優三国連太郎(みくに・れんたろう)さん(本名・佐藤政雄)が14日午前9時18分、急性呼吸不全のため、東京・稲城市の病院で死去した。90歳だった。

 晩年に出会った「釣りバカ日誌」が、三国さんの俳優人生を大きく変えた。全22作中14作をプロデュースした松竹の深沢宏プロデューサー(54)が、三国さんの同作を通じた変化の様を明かした。「最初は出演をちゅうちょしていましたが、03年の『14

 お遍路大パニック!』くらいから向き合い方が変わり、完全に『自分はスーさん』と、はっきりやっていこうと決めていました」。

 言葉通り、三国さんは88年の第1作出演を渋った。原作漫画で鼻が大きく描かれたコミカルなスーさんは、これまでに演じたことのないキャラクターで「三木のり平さんの方が合っていますよ」と難色を示したという。しかし、「映画と原作は違う。三国さんのままで出てほしい」と製作サイドから熱心に説得されて出演。大ヒットし、2作目の製作が決まっても、三国さんは「シリーズものは色が付くから嫌だ」と1度は断っていた。

 91年の「釣りバカ日誌4」公開後からは、全国各地で「スーさん」と声を掛けられる機会が増えた。ファンの愛を感じた三国さんは「役者は見られてナンボ」と気持ちを切り替えた。「14」以降、メガホンを取った朝原雄三監督が「真っ黒になるまで台本に書き込みし、『もう1度お願いします』と何度も演技をやり直された」と感服するほど役と向き合った。年に1度の撮影は楽しい年中行事、スタッフも交えた“家族”との再会の場となっていた。

 22年、ともに歩んだ主人公ハマちゃん役の西田敏行(65)はこの日、「私のスーさんが逝きました。いつかこんな日が来ると覚悟はしていたものの現実にその時が来たと知らされると、にわかには信じられません。(中略)22年ご一緒出来たことは私の誇りであります。スーさんお世話になりました」と追悼のコメントを発表した。深沢プロデューサーは「三国さんにとって後半はスーさんが分身だったのでは。三国さんと西田さんが足し算じゃなく、かけ算になったのが22年、作品が続いたゆえんではないでしょうか」としみじみ語った。【村上幸将】