17日に心不全で急死した歌舞伎俳優中村獅童(41)の母小川陽子さん(享年73)の通夜が19日夜、東京・南青山の梅窓院で行われ、歌舞伎俳優、俳優ら約800人が参列した。喪主を務めた獅童は通夜後に取材に応じ、自宅の浴槽につかって亡くなっている陽子さんを発見していたことを明かした。葬儀、告別式は20日午前9時半から同所で営まれる。

 獅童は通夜が終わると、取材に応じた。自宅の浴槽で最愛の母が亡くなっているのを最初に発見したことを声を詰まらせながら明かした。「眠っているみたいだった。起きるかなと思ったんですが、起きてくれなかったですね」。ショックは計り知れないが、当日も役者の使命を果たすべく、舞台に立った。

 普段は神奈川の湘南に住んでいるが、9月から舞台、歌舞伎公演が続いているため、東京・杉並にある実家に戻り、陽子さんと生活していたという。亡くなる前日の16日には、出演映画の試写に一緒に行き、関係者らと夕食をともにした。「人形町でお肉を食べて、デザートまで食べて、元気だったんですよ」。

 先月、明治座で「瞼(まぶた)の母」を演じた時、劇場に来た陽子さんに「良かった。涙が出るくらい良かった」と褒められたという。いつもは会えばけんかばかりしていたというが、獅童は「『そんなに褒めると死んじゃうみたいだから言うなよ』って言ったんです。こんなにさびしくなるとは思わなかったな」と振り返った。

 この日は昼まで、喪主として通夜の準備を取り仕切った後、歌舞伎座に入り「仮名手本忠臣蔵」で斧定九郎、小林平八郎の2役を普段通りに演じた。通夜は、喪主である獅童の舞台出演が終わるのを待った午後10時からの開始だった。遅い時間にもかかわらず、中村吉右衛門、松本幸四郎、渡辺えり、野田秀樹ら歌舞伎俳優、芸能界の仲間が弔問に訪れた。ひつぎには、愛用の扇のほか、俳優仲間にひと言ずつ書いてもらった手紙を一緒に入れるという。その感謝も込めて、獅童は「愛されていたんだなと思いました。太陽みたいな人だったから」とまた涙し、「小川陽子の息子で良かった。中村獅童は小川陽子がつくってくれた。これから芝居で返していくしかない」と言い切った。

 祭壇は女性らしくピンク色にまとめられた。約1万3000本の花に囲まれ、遺影の陽子さんは笑みを浮かべていた。戒名は華香院陽和大姉(かこういんようわだいし)。明るいムードメーカーで、華やかだった生前の陽子さんを思わせた。午前0時前に取材対応を終えた獅童は、今日20日午前の葬儀・告別式で喪主を務めた後、再び歌舞伎座の舞台に立つ。【小林千穂】

 ▼主な参列者

 松本幸四郎、中村吉右衛門、坂東三津五郎、中村橋之助、三田寛子、市川染五郎、市川海老蔵、小林麻央、中村勘九郎、前田愛、中村七之助、渡辺えり、風吹ジュン、坂東弥十郎、大谷友右衛門、中村歌六、中村又五郎、中村錦之助、中村隼人、尾上松也、尾上右近、中村嘉葎雄、荒川良々、波乃久里子、草刈民代、周防正行、八嶋智人、野田秀樹、真琴つばさ、綾野剛、藤井隆、篠山紀信(敬称略)