9日に肺炎で亡くなった東映の岡田茂名誉会長(享年87)の通夜が10日、東京・青山葬儀所で営まれた。映画を愛し、東映一筋に生き抜いた名誉会長のために、祭壇は東映映画のオープニング映像「荒磯に波」の形にして設置された。「お別れの言葉」を述べた俳優菅原文太、女優三田佳子ら約2400人が参列。会場には、「網走番外地」「仁義なき戦い」など、携わった代表作の主題曲が流れた。長男で東映の岡田裕介社長(61)は、父と会社の大黒柱を失った悲しみに涙を流した。

 岡田氏が人生をかけた「荒磯に波」が、祭壇に再現されていた。8000本の菊と300本の胡蝶蘭(こちょうらん)が、寄せては返す波のように咲き誇っていた。会場には「緋牡丹博徒」のテーマが流れた。4月1日に創立60周年を迎えたわずか1カ月後に、会社をメジャーに押し上げた大黒柱が逝った。岡田社長は「60年すべて勤めていた人間は、もう彼しかいなかった。岡田茂…東映の歴史ということで好きな歌を選び、祭壇は東映の波のイメージでしつらえた」と語った。

 祭壇の中央には、満面に笑みを浮かべた遺影が飾られた。01年6月に出版された自伝「悔いなきわが映画人生-東映とともに歩んだ50年」のために撮影されたもの。「笑った写真の方がいい」と遺族の総意で選んだという。

 岡田社長は、70年8月公開の東宝映画「赤頭巾ちゃん気をつけて」で俳優デビューし、翌71年に父が東映社長に就任した。「本当に家庭のことはどうでもいい人でした。ずっと映画のことしか考えてなかった男です」。息子として1度も怒られたことはなく、02年に社長の座を譲られてからは、「お前の好きなようにやれ」と経営を完全に任されたという。電話も会社の報告をする程度だった。

 長女でコメンテーターの高木美也子さんは「京都ではよく撮影所へ遊びに行き、美空ひばりさんや大川橋蔵さんのところにも連れて行ってくれた」と、京都撮影所時代の思い出を振り返った。盟友の高岩淡相談役(80)も「朝7時半に出勤し『ロケだ。雨が降ろうと撮って帰ってこい。そうしないと許さん!』と怒鳴りながら、裏で雨が降っても撮影できる段取りをしてくれた」と感謝した。

 岡田氏が、家族に自身の本音を漏らしたのは、肺炎にかかって亡くなるまでの約10日間だけだったのかもしれない。岡田社長には「悔いはない」と何回も言い、高木さんが「頑張って」と声をかけると「頑張る」と返した。それが最後の言葉だった。同社長は「おやじは“脱テレビ”を映画で語った。『ヤクザ映画、テレビじゃできねぇだろう』と常に頭に描いてた。次の東映をどうしていくかみんなと作っていきたい。長い間ごくろうさんでした」と言い、大粒の涙をこぼした。【村上幸将】

 ◆荒磯に波

 東映が54年に、初めてクレジットタイトルとして登場させた。撮影場所は、千葉県の犬吠埼といわれているが諸説ある。荒波が打ちつける3つの岩は、東映の前身である東京映画配給、太泉映画、東横映画の3社を指しており、押し寄せる文化の波に負けないという意味があるといわれている。

 ◆主な参列者

 小林稔侍、菅原文太、富司純子、かたせ梨乃、松方弘樹、豊川悦司、哀川翔、なかにし礼、石橋蓮司、北大路欣也、中村獅童、梅宮辰夫、吉永小百合、津川雅彦、陣内孝則、役所広司、松平健、渡辺謙、南果歩、三田佳子、内田裕也、南野陽子、桜井淳子、萬田久子、松田美由紀、黒谷友香、黒木瞳、鳩山邦夫(順不同、敬称略)