武藤貴也衆院議員はなぜ、自民党議員として釈明の記者会見ができなかったのだろう。自民党もなぜ、党の所属議員として釈明させなかったのだろう。10年前には、若手議員が正面切って記者会見を開いたのに。

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 週刊文春に未公開株をめぐる金銭トラブルを報じられ、それまで所属していた自民党を「スピード離党」した武藤氏。釈明会見が開かれるというので、会場に指定された議員会館の会議室に行ってみると、自民党や地元滋賀県の記者クラブだけが入室可能ということで、事務所のスタッフに入室を拒まれた。

 「会場の都合」「混乱を避けるため」とも言われたが、それならもっと広い会見場を用意すれば良い。報道した当事者の週刊文春を含む、多くのメディアを「敵」に回した形だ。武藤氏の出入りの際には、普段は静かな会議室前の廊下に怒号が響いた。会場の中は静かだったのかもしれないが、会場の外は十分、混乱していた。

 自民党を離党した無所属の議員が、自民党の記者クラブの記者に、会見をすることも不可解だった。確かに武藤氏は自民党時代、安保関連法案に反対する学生グループを「個人的利己主義」とツイッターで発信し、批判されたことが、言動が注目されるきっかけだった。自民党議員として発言し、自民党議員時代に問題を起こしたのだから、自民党議員として正面切って話すというなら、閉め出されたにしても、まだ理解できたのだが。

 「記者クラブ限定」の会見は珍しいことではない。ただ、今回はスキャンダルの釈明が目的だ。多くのメディアを対象とすることで、釈明のチャンスの場が増えるとは考えなかったのだろうか。会見当日、武藤氏には週刊文春による別のスキャンダルが報じられることが分かっていた。「金銭トラブル以外の話を聞かれたくないので、出席してほしくない」とはっきり言ってもらえたなら、はじき出されても理由が明快で、すっきりできた。

 今思えば、武藤氏は、「利己的個人主義」発言直後から、事実上「雲隠れ」状態で、お盆休み前の衆院本会議にも、姿はなかった。久々に出てきた公の場でも逃げ腰で、堂々とした様子が感じられなかった。隠そうとすればするほど、追いかけられるのが、スキャンダルを起こした側の常。どう対応するかは、危機管理力の問題になる。

 武藤氏が自民党議員でなくなってしまったのは、自民党が離党届をスピード受理したことも大きい。以前、正面切って若手議員に謝罪&釈明会見を開かせたことを、思い出す。

 05年9月の郵政選挙で初当選した杉村太蔵氏。初当選直後、「議員になったら新幹線はグリーンですよ、グリーン」「料亭に行ってみたい」。取材に答える様子がテレビで報じられ、批判を浴びた。

 問題が表面化してから約2週間。初登院直後のタイミングで、杉村氏の釈明会見が自民党本部の記者クラブ横の会見場で行われた。会見を開いたのは、杉村氏側の要望。この時、党側は、記者クラブ以外の社の出席も認めた。「新人議員の謝罪会見」は、前代未聞。お目付け役の先輩議員らが見守る中、200人近いメディアを前に、杉村氏は反省の言葉を並べた。

 「本当に反省しているのか。上に怒られ反省しているようにしかみえない」と厳しい指摘も受けながら、杉村氏は「反省を含めて、抱負を語っています」と述べた。杉村氏の言動はある意味、「議員特権」の本質を突いたものだったこともあり、それまで表だって発言した人もおらず、ハレーションもさらに拡大したように今は思う。

 当時の杉村氏も今回の武藤氏も、問題になったのは、発言の内容。杉村氏がまだ初当選直後だったのと比べ、武藤氏は当選2回。問題の「質」という面では、武藤氏の方が深刻だ。しかも、釈明の方法も一方はオープンで、一方はクローズだ。

 自分の発言に関してきちんと説明しないうちに、新たなスキャンダルに追い打ちをかけられ、「党に迷惑を掛ける」と、スピード離党。党もあっさり離党届を受理した。当時と今と政治環境は違うにしても、そんな、問題にふたをするようなやり方より、正面切って発信をした10年前の自民党や杉村氏のスタイルは、今回と比べると、潔かった。