東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小の児童23人の遺族が、市と県に損害賠償を求めた訴訟の控訴審が23日、仙台高裁(小川浩裁判長)で結審した。判決は4月26日。裁判所が双方に和解の意思を尋ねたが、遺族側が応じなかった。

 当時小学4年生だった巴那(はな)さんが行方不明で、小6だった堅登くんを亡くした鈴木実穂さんは、意見陳述で子どもの思いを代弁した。

 「私(巴那さん)はあの時から、お父さんとお母さんの所に帰れずにいます。私も見つけてもらったら抱っこしてもらいたい。でもその願いはかなわないみたい。だって、すっかり骨だけになっちゃったんだもの」。法廷では、すすり泣く声が多く聞こえた。

 控訴審で遺族側は「学校や市は災害発生前の平時から津波を想定した危機管理マニュアルを整備する義務を怠った」と指摘。1審では地震後の津波予見だけに責任が認められたため、当時小6の大輔くんを亡くした今野浩行原告団長は「平時防災の責任が審理され意義があった」。原告代理人の吉岡和弘弁護士によると石巻市は「津波避難計画」を作成していなかったと回答したといい、行政にも「重大過失がある」とした。

 吉岡氏は「津波は来ないだろう」と考えていた当時校長と、「校長が何とかやってくれるだろう」としていた市教委について「もたれかかっているだけの組織的過失。全くの無策だった」と断じた。判決が事前防災義務の不履行を認めれば「画期的で学校防災の礎になる」と語った。市側は「当時の科学的知見では津波襲来を予見できずマニュアルに不備はない」とした。

 16年10月の1審判決は津波襲来の約7分前までに「津波を予見できた」と判断。裏山に避難させなかった学校側の過失を認め、県と市に14億円余りの賠償を命じた。その後、双方が控訴した。【三須一紀】