プロ野球広島の内野手で、国民栄誉賞を受賞した衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が、23日夜に上行結腸がんのため東京都内で死去したことが24日、分かった。71歳だった。

 衣笠氏の広島時代の同僚だった江夏豊氏(69)が思いを語った。24日、ヤクルト-阪神のテレビ解説のために訪れた松山空港で取材に応じ「電話で3日に1回はしゃべってたよ。10日前くらいかな。腹水がたまって苦しいと。今朝、奥さんから電話をもらったよ」と話し始めた。

 78年に広島に移籍し、衣笠氏との親交が始まった。「それまではライバルだったから。こんなバッターに打たれるか! と思ってた。同じ関西出身でライバル意識もあったしね。でも、なぜか最初からウマが合ったというか。あの頃のカープは個性派が多かった。そういう意味ではやりやすかった。でもこんなに早く逝くとは…」。

 2人の関係を代表するのが、語り草になっている「江夏の21球」だ。広島が初の日本一に輝いた79年、近鉄との日本シリーズ第7戦。広島1点リードの9回裏、クローザーだった江夏氏は無死満塁の危機を迎えた。広島ベンチは延長に備え、ブルペンに投手に準備をさせた。これを見た江夏氏が「この野郎! 何でオレの後に投手をつくるんだ!」と冷静さを失った。ここでマウンドに歩み寄ったのが一塁を守っていた衣笠氏だった。

 「お前がやめるならオレもやめてやる」。そう声をかけられた江夏氏は「生え抜きのサチが…」と感激。これで落ち着きを取り戻し、カーブの握りのままスクイズを外す投球を見せ、名場面を生んだ。「あの苦しい場面で自分の気持ちを理解してくれるやつが1人いたんだということがうれしかった。あいつがいてくれたおかげで難を逃れた」。のちにそう話している。

 ため息を繰り返した江夏氏は自身に納得させるように「いいヤツを友人に持った。俺の宝物だ。ワシもすぐ追いかけるんだから。次の世界でまた一緒に野球談議をするよ。それが楽しみだ」と話していた。【高原寿夫】