元Jリーガーからメガバンクへ就職-。あまり馴染みのないキャリアだろう。
大学卒業後にプロサッカー選手を選択した時点で、「人気企業ランキング」で上位に入る会社への道は閉ざされるように思う。
■元福島DF、今春みずほ銀行へ
厚生労働省は昨年「青少年雇用機会確保指針」を改正した。意欲、能力があるにもかかわらず就職浪人を余儀なくされる新卒者の労働事情を鑑み、「3年以内の既卒者は新卒枠で応募受付を」と企業に対して声高に訴えている。
既卒3年以内。つまりJリーガーとして短命に終わったがゆえ、採用試験を突破し、今春からの「みずほ銀行」への就職が決まった選手に会った。
J3福島ユナイテッドFCに1シーズンだけ所属し、現在は関東社会人リーグ1部の東京ユナイテッドFCでプレーするDF新井秀明。2022年春に中央大を卒業している24歳。第一印象はとにかく物腰が柔らかい。育ちの良さを感じずにはいられなかった。
■「プロにこだわらなくてもいい」
-福島は1年で契約満了、そこからメガバンクを目指したのはなぜ?
「まだプロとしてやっていきたい気持ちがあったので22年末にトライアウトを受けました。だけどJリーグのチームからオファーがかからなくて。まだプロとして頑張って模索していくのか、1回線引きをしてサッカーをしながら社会人でやるのか、その中でプロにこだわらなくてもいいんじゃないかと思いました。大学4年生の時に並行して金融中心に就職活動をしていたこともあり、もう1回金融を目指そうと。そして今回、運良く縁があってメガバンクに決まりました」
-なぜまた金融を?
「母が金融機関に勤めていたので、影響を受けたと思います。日頃からテレビのニュースなんかも経済に関するものを多く見たり、新聞なんかも割と読む方なので。興味がわいてきたところもありました」
そのサッカー歴は王道だ。東京・町田JFCを経て、中学から川崎フロンターレのアカデミーの門をたたいた。中学、高校時代には2年先輩には三笘薫(ブライトン)、1年先輩には田中碧(デュッセルドルフ)がいた。長身で左利きのセンターバックとして活躍。三笘、田中と同じ試合に出場する機会も多かった。高校は東京の名門・成城学園へ通い、サッカーだけでなく勉強の方もしっかりと頑張り、評定平均値をクリアして中央大学経済学部に進学している。文武両道を地でいく選手だ。
-市民の生活を支える銀行とは、どのような仕事だと捉えていますか?
「面接でも志望理由を聞かれましたが、小さい頃からサッカーやってきて何不自由なくプロを目指せる環境に身を置けたのは、両親が僕に対してお金を含めて投資をしてくれたからだと思っています。そういった意味で、仕事を通して今度は自分が逆の立場になり、みなさんの生活だったり、お金を通して豊かにしていきたいなと思いました。だから銀行を希望しました」
こちらが想像していた以上に、地に足が付いた若者だった。
■サッカーに打ち込むあまりに拘泥
プロサッカー選手のセカンドキャリアと言えば、選手としての限界が見えた時、そこで初めて考えるケースが多いだろう。幼少期からサッカーに打ち込むあまり、「これだけ頑張ってきたんだから」とあきらめはつかない。「どうすればサッカーを続けられるのか」と拘泥してしまいがちだ。
新井も大学時代はケガもあって順風満帆とはいかず、試合に絡めるようになったのも4年生から。プロになれるか微妙な立場だった。それでも進路について監督から「サッカー選手もいいけれど…」と切り出された時には「なんだよと思った方でした」と苦笑する。
しかし実際にプロの世界に身を置いたことで現実を知り、ある考えが芽生えてきた。
「福島にいた時も試合に出られていない期間が多かったので、1年で切られるなと想像していました。サッカーで契約満了となった選手って、クラブでスクールのコーチになったり、というところのセカンドキャリアが多いように思います。その道もいいと思いますけど、自分はもっと広く世界、社会を知りたいなと思いました。自分自身がモデルケースになって、これから同じ境遇に立った人への道しるべになれればいいのかなと思いました」
■仕事とサッカーのデュアルキャリア
そもそも東京ユナイテッドFCは、東京大と慶応大のOBチームの流れをくみ、ビジネス社会で活躍しながら、サッカーにも取り組む文化が醸成されている。クラブのスポンサーはみずほフィナンシャルグループであり、クラブ代表を務める東大卒の福田雅氏はみずほ証券でビジネスマンとして研鑽を積んだ人物。他にもDF井上大、GK田原智司(ともに慶大卒)をはじめ複数人がみずほ銀行で働いている。
2つの人生軸を持つ「デュアルキャリア」。それは新井の志向ともマッチした。もちろん入社試験はクラブ事情とは一線を画し、フラットな判断の下、実力で手にしたものだ。望むべく次なるスタートラインに立ったが、本当の勝負はここから。サッカーだけでなく人間としてどう成長していくのか? そこが問われてくる。
「今日の練習もそうでしたが、仕事を持っている選手は平日の夜間練習でもラスト15分の参加だったりします。それでも仕事と両立しながらラスト15分に来る姿に尊敬します。僕自身このチームに入ってきたのは、そういうところにあると思います。4月から当然仕事は忙しくなると思いますけど、サッカーと両立してチームの勝利にも貢献したいと考えています」
■伝統企業ほど新卒のこだわり強い
今回の新井は“幸い”既卒3年以内というルールにうまくはまり、新たなキャリア形成へとつながった。
だが同じようなビジネス志向を持つ選手がいたとしたら、Jリーグで3年、4年と少し長く契約を“持ててしまった”時点で、その枠から外れることになる。
幼少期からの夢をかなえ、少しでもその時間(プロ契約期間)が長ければ至福に違いない。ただ一方で、そこから先の人生でまた別の苦しみや悩みが生まれる。新たなキャリアへの道が閉ざされてしまうという現実だ。
日本社会を支えてきた伝統企業ほど敷居は高く、「新卒採用」のこだわりは強い。それは企業風土や文化に染めやすいからに他ならない。背景にあるのは革新的な取り組みよりも、伝統への保守意識。欧米のジョブ型雇用とは異なる日本特有のメンバーシップ型雇用は、元プロアスリートたちの選択肢を狭める壁ともなっている。
そんなことをふと頭に思い浮かべ、新井に「元Jリーガーの雇用問題」についての見解を聞いた。
「やっぱりサッカー選手をやめた人たちが働くとなった場合に、正社員というよりか契約社員として受け入れられるケースが多いと思います。そうなった時に正社員の方と賃金が違ってくる。今、同一労働同一賃金というものが少し話題になってきています。そういったところがもっと広がっていったらいいなと思いますね。ただ現状だと、なかなか難しいように思います」
■「日本の仕組み変わればいいな」
かつての実業団チームは引退後も企業が面倒を見てくれた。だが1993年のJリーグ誕生以降、様々な競技でもプロ化が進み、その分、アスリートのキャリア問題は広がっている。
ならば「新卒(既卒3年以内)」にとらわれず、30歳からでも試験をクリアすれば大手企業や官公庁にでも入れるようにならないものか。人材の流動化が進めば、異分子との化学反応によりイノベーションも進むように思うのだが、どうか。
「日本の仕組みみたいなものが変わればいいなというのは、僕だけじゃなくて、今頑張っているサッカー選手は思っているはずです。大学の同期でプロになった1人は、サッカーと両立で起業しています。ただ、そこまでの考えがない選手がサッカーをやめた時にどう受け入れられるのか。そういったところは変わった方がいいと思います」
今春から迎える新たな人生は、自身のキャリア形成だけに終わらず、次に続く者への道しるべとしたい。柔らかな口調の中にも熱い思いを秘めている。
視座が高く、優しきまなざしを持つ元Jリーガーの門出を応援したい。【佐藤隆志】