「なでしこジャパン」が誕生したのはアテネ五輪を控えた04年7月。今でこそ「○○ジャパン」の呼称は乱立状態だが、当時は「全日本」「日本代表」が主流。ラグビーやサッカーで「監督名+ジャパン」が見られた程度だった。そんな時に「愛称を」とアイデアを出したのが、日本協会代表チーム部にいた江川純子さん。きっかけの1つが、オーストラリア女子代表だった。

 女子サッカー活性化を目指す川淵キャプテンの直轄組織CHQのメンバーにメールを出した。「日本代表は男子のことで、すべてに『女子』をつける必要があった。オーストラリアの女子代表は『マチルダス』。女性を表す言葉で、それだけで女子代表と分かる。日本も愛称をつけてはどうかと思った」。メールを見た手島秀人広報部長(当時)が賛同し、メディアの力も借りて根回し。当時としては異例の「代表の愛称」が公募によって決まった。

 「発表した時は、まだ女子サッカーに対する関心も低かった」と江川さんは言うが、直後の五輪で認知度が高まった。男子も、他の競技も後を追った。そして、11年W杯優勝で誰もが知る愛称になった。現在、日本協会国際部で働く江川さんは「愛称を浸透させたのは選手たち。彼女たちの頑張りがあったから、なでしこジャパンは大きくなった」と話す。