東京の日本代表FW武藤嘉紀(22)が、今夏からブンデスリーガ1部マインツに移籍する。3月に届いたプレミアリーグ名門チェルシーのオファーから武藤の移籍話はスタートした。チェルシーへの断りと、マインツ移籍決断の裏には、一体何があったのか。【取材・構成=栗田成芳】

 「結局、広告としか考えていないのか…」。

 5月上旬、チェルシーから届いた武藤への再オファーは、異色のものだった。1年目は中国リーグのクラブへの期限付き移籍。年俸300万ユーロ。日本円にして、約4億円もの巨額オファーだった。チェルシーがアジア戦略を進める上で、武藤獲得は大きなインパクトを与える。選手武藤への期待や評価以上に、マーケティングに重心を置く側面が、にじむオファー。4億円という金額への驚き以上に、武藤の感情を包んだのは大きな失望感。海外挑戦で、成長を遂げたい-。その思いは、どこにも組み込まれていなかった。

 サッカーの母国・イングランドはあこがれの場所だった。「いつかは、プレミアリーグやスペインリーグでプレーしたい」。だから、慶大での英語とスペイン語の授業には力が入った。チェルシー側のアジア系米国人の代理人と初めて交渉した席でも、必死に英語で話した。攻撃的なサッカーに魅力を感じ「いつか自分もプレーできたら」という思いを自然と抱き、プロ入り後も語学はひそかに準備をしていた。

 チェルシーからオファーが届いたのは、まだ寒さの残る3月。2度目のJ1開幕を迎えたばかりの武藤が、東京の大金社長に呼ばれ、クラブハウスの一室に入った。心の準備もなく言い渡されたのは名門から届いたオファー。「本当ですか?」。目を丸くし「1度、話を聞いてみたいです」。夢が現実味を帯びたことが、うれしかった。

 突如届いたビッグオファーに、入り交じる自信と不安。「本当に自分が通用するのか?」。「でもチャレンジしてみたい」。この時点で気持ちは傾いていた。プレミアリーグでプレーする自分の姿を照らし合わせ「正直、怖さがある」とまで口にしたのは、本気で考えた証し。でも聞きたくもないことも耳に入った。

 オファーが表面化した4月10日、英紙でチェルシーのモウリーニョ監督が武藤について質問に答えた。「現代サッカーには商業的な部分が少なからず必要だ」。ビジネスの側面を示唆したものだった。そもそも、武藤とチェルシーの間にはギャップがあった。最初に提示された年俸は45万ユーロ(約6000万円)。東京での年俸の倍以上だが、プレミアでプレーする選手の平均年俸は4億円以上。決して1選手として高く評価された額ではなかった。

 4月中旬にドイツクラブが次々と手を挙げると状況が大きく変わった。チェルシーへの思いは後退し、ブンデスリーガへ傾いた。5月のゴールデンウイーク前、東京幹部にチェルシーには行かないことを伝え、クラブは断りのレターを送った。理由の1つに挙げられた条件面をはき違えて、再び届いたのが中国行きの再オファー。レンタル先での成長を考えるのであれば、保有選手を同じアジアのリーグに送り込む必要はない。飼い殺し状態で貴重な伸び盛りの1年を無駄に過ごすのか? 大金を手にするためだけに?

 「もう、ダメだな」

 武藤が思い描いた絵とは、あまりにもかけ離れていた。大きくふくらんだ夢が、踏みにじられる形で完全に幕を閉じた。

 それだけに、並行して手を挙げたドイツクラブから注がれた熱意が、余計に熱く感じた。

 ◆武藤移籍の経緯

 3月上旬 東京にメールでチェルシーから正式オファーを受ける。

 4月8日 チェルシーからのオファーが表面化。「光栄ですが冷静に決断したい」。

 同下旬 マインツから正式オファー。国内で面談し評価を受ける。クラブ間交渉開始。

 5月上旬 チェルシーに断り。直後に再オファーが届く。

 5月30日 J1柏戦後、東京がマインツ移籍を正式発表。

 ◆海外クラブに所属する日本人選手の高額年俸 

 12年夏にプレミアリーグ・マンチェスターUへ移籍したMF香川真司は年俸400万ユーロ(約5億6000万円)と言われていた。14年1月にロシアのCSKAモスクワからセリエAのACミランへ移籍したMF本田圭佑は年俸550万ユーロ(約7億7000万円)の3年半契約。