イタリア紙ガゼッタ・デロ・スポルトが22日、別冊のスポーツ・ウイークの中で、初の日本人対決実現の可能性がある23日(日本時間24日)のミラノダービーを前に、特集を組んだ。

 ACミランの本田圭佑(28)とインテルミラノの長友佑都(28)のインタビューを掲載した。

 本田圭佑の見出しが漢字で「夲日圭佑」とあるのはご愛嬌(あいきょう)。『サムライ(武士)のおきて』と見出しを打ち、3ページに渡って特集した。

 本田の記者とのやりとりは次の通り。

 -あなたにとってスタイルとは

 本田

 私自身の人生の哲学のようなもので、私のパーソナリティーだ。

 -その人生の哲学とは

 本田

 (よく考えてから)誠実さ、夢を実現していく能力、すべてのチャンスを模索していくこと。私は子供の時から強い個性を持つために努力してきた。容姿の面でもだ。人が金髪をどう言おうと気にしたことはない。私の国の子供たちにも気に入られているはずだ。彼らは、私が生まれながらにしてこの色だったと思っている。

 -なぜ、すぐ他の人とは異なっていることを示さなければならなかったのか

 本田

 父親から受けた教育によるところが大きい。彼は、何かするなら一番にならなければならないと常に言っていた。それはサッカーである必要はなく、何かすると決めたら、一番にならなければならないということだ。

 -そのような父親からの期待は刺激となったか、それともプレッシャーとなったか

 本田

 小さい頃は、どういう意味かはっきりとは分からなかった。でも、抜きんでるためには、全力を尽くさなければならないということはよく理解できた。なぜならそう教えられてきたからだ。それで、どうすれば一番になれるかと考えた。

 -その答えは

 本田

 他の人と違ったようになることはできた。だからこそ、早くからはっきりとした強い個性を作り上げられたのだ。

 -例えば

 本田

 練習をすること。多くの子どもたち、またはプロの選手でも、ハードなフィジカルトレーニングはあまり好きではない。私はさらにハードなフィジカルトレーニングでも好きになろうと努力した。

 -だとすると、ミラネッロでの練習の前後でも家でトレーニングするというのは本当なのだろう

 本田

 そう。でもそれほどすごいことをやるわけではない。もう習慣になっている。自分の体をケアするだけだ。ヒゲをそったりクリームを塗ったりするのと同じように。

 -過去を振り返って、落ち着いた幼少期を過ごしたと言えるか。他より卓越しなければならないことで、のんびり過ごすことはできなかったのか

 本田

 私は自分の両親と彼らの教育をよく理解し納得している。彼らが私に与えてくれたものに恩返しをしなければと常に考えてきた。

 -そのあなたが父親となった今、同じやり方で息子を教育するのか

 本田

 やってみる。でもまだ早い。息子はまだ2歳にもなっていない。

 -日本の文化の中にはまだ「サムライ(武士)のおきて」が残っている。7つの武士道教育は、誠実さと公正さ、断固たる勇気、哀れみ、思いやり、真摯(しんし)、信義、義務と忠誠だが、このうちどれを持っていると思うか

 本田

 (再び長く考えて)信義。でも私は忍耐という長所も持っていると思う。

 -ミラン基金とブラウンの学校教育共同キャンペーンの中には「いじめ」の問題も入っている。日本でもそのようなことがあるか

 本田

 もちろん日本にもある。

 -そういった被害に、間接的にでも関わったことはあるか

 本田

 何度もあった。

 -なぜそうなったのか。そのときどうしたのか

 本田

 理由はいろいろあった。でも、だいたいいつも遊びだった。取っ組み合いの喧嘩(けんか)になっても、だいたいそこで事は終わる。ただ、何度かは私自身が他人にプレッシャーをかけたこともある。日本人はとても内気で優柔不断だし、結果を出す自信がないと、何かやろうとするのをためらう。ピッチで自信を持てないままのチームメートを激しい言葉で叱ったこともある。あなたたちイタリア人は違う。

 -あなたの息子が将来いじめと関係するときが来れば、どのようにしろと言うか

 本田

 常に3つの選択肢がある。無視すること、話し合うこと、反撃すること。どれを選ぶかは、そのときの状況に応じて彼自身が決めることだ。

 -オランダに行くために日本を離れ、その後ロシア、イタリアで過ごした。自分のライフスタイルを自覚するのが困難なことはなかったか

 本田

 この3つの国のどこでも、最初私は知られていなかったので、難しかった。でも、いつも同じやり方でやってきた。最初は自分自身の中にとどまり、少し話をするだけで練習に没頭するということだ。一生懸命練習し、ピッチ上での態度などで他の人が私がどういう人間なのかを知るようにする。

 -イタリアに来て最も難しかったことは

 本田

 記者たちのアグレッシブさだ。レストランやお店に入ると、彼らはすでにそこにいる。私は問題ないが、私の家族はそうではない。私の妻と息子はサッカー選手でも歌手でも有名な俳優でもない。普通の日本人なのだ。

 -よく行く店は。ブティックか宝石店か

 本田

 店にはあまり行かない。ミラノでショッピングはしない。一度ガリアーニ副会長がTOD’Sに連れて行ってくれた。ただ、私は日本にスタイリストがいて、個性に合った服をアドバイスしてくれる。

 -ミランでの最初の日、ミラネッロにネクタイとジャケットで行った。チームメートから何と言われたか

 本田

 何も言われなかった。たぶん私の最初の日だったからだろう。私のことを知らなかったし、何もコメントせず。とても親切にしてくれた。私が彼らにいつも言っていることがある。我々1人1人がスタイルを持っており、それはリスペクトされるべきだ。一方で皆が共通で持たなければならないものが1つある。それはピッチ内外での誠実な態度だ。私たちは常に見られていることを意識しなければならない。特に子供たちにとってお手本にならなければならないのだ。

 -これまででイタリア人について分かったことは

 本田

 1人1人が大きく異なる。でも、この世界のどこにいる人間でも長所と短所がある。私たち日本人は厳格で規律正しいが、大胆さに欠ける。あなたたちイタリア人は辛抱強くはないが、独創的だ。素晴らしいアイデアで多くのものを作り出している。パスタ、ピッツァ、フェラーリ、ドルチェ&ガッバーナ。理想的なのはイタリアと日本のミックスだろう。