[ 2014年2月9日9時25分

 紙面から ]男子スロープスタイル決勝2回目、エアを決める角野(撮影・井上学)<ソチ五輪:スノーボード>◇決勝◇8日◇男子スロープスタイル

 新種目スノーボード・スロープスタイル男子の角野友基(17=日産X-TRAIL)が、8位入賞を果たした。準決勝は決勝に進出できる4位にぎりぎりで入った。決勝は2回目に、大技「バックサイドトリプルコーク1440」を着地まで決めて、75・75点を出した。メダルは逃したが、大会最初の決勝種目で日本人選手が入賞するのは初めて。日本選手団に勢いをつけた。

 抜けるような青空に、ヘルメットを思い切り放り投げた。角野は決勝2本目、3つ目のジャンプで「バックサイドトリプルコーク1440(縦3回転、横4回転)」をきれいに決めると、両手を突き上げた。「楽しかった。悔しさはありません。精いっぱいやりきった」。自分に言い聞かせるように話した。

 2つ目のジャンプの着地で前傾姿勢になり、両手をついて得点が伸びず、メダルには届かなかった。それでも今大会日本勢初の入賞を果たし、チームジャパンに弾みをつけた。

 スノーボードを始めて9年で、五輪まで駆け上がった。父の雅一さん(43)の影響を受け、8歳から始めた。しかし兵庫県出身で、近くにスキー場はない。そのため平日はウオータージャンプ台、週末はゲレンデに通う日々だった。

 土曜日、仕事を終えて帰宅した父が運転する車に乗り、冬は500キロ以上離れている新潟県、夏は屋内ゲレンデのある愛媛県へ。自家用車のワゴン車を改造し、後部座席をフラットにして、角野は移動中に睡眠。帰り道は、練習中に父が撮影したビデオを何度も繰り返し見た。

 予選ではミスが続いたが、決勝前日、気持ちが切り替わった。交流のある人気エアバンド「ゴールデンボンバー」から贈られた「金爆」の刺しゅう入りネックウォーマーを渡された。友人からの応援メッセージや映像を見た。「みんなが応援してくれてる。僕はやるっきゃない」と思えた。

 五輪前、髪を8センチ切った。1月のXゲームから帰国時は、茶髪で長髪。その姿を「チャラい」とネットでたたかれるのを目にした「そう思われるのは嫌。変えられるなら、変える」とカラーも黒髪にした。

 試合後、スタンドで観戦した応援団の元へ行った。父から「ほんま、ありがとう」と声をかけられた。観客席に座ってコースを眺めながら、あらためて振り返った。「今の完全燃焼の結果が入賞。でもまだまだ、僕の気持ちは完全燃焼してない」。

 よく言う言葉は「スノーボードをメジャーにしたい」。自分がメダルを取って環境を変え、日本人のスノーボーダーに「日本人も強いんだ、と思ってほしい」と話していた。「やっぱりメダルがほしい。長いようで短い4年だと思う」。もう、4年後を見据えていた。【保坂恭子】

 ◆スノーボード・スロープスタイル

 ソチ五輪から新採用になった種目。雪の斜面を滑走しながら、コースに設置されたジャンプ台(キッカー)や障害物(ジブ)で技を繰り出す。難度などを審判員が採点し、得点を競う。タイムは採点対象ではない。ジャンプと滑りの技術の組み合わせが重要で、スノーボードの総合滑走力が必要とされる。ソチのコースは全長565メートル、高低差147メートルで、前半に3つの障害物、後半に3つのジャンプ台がある。予選、準決勝、決勝と、いずれも2回実施し得点の高い方を採用する。

 ◆角野友基(かどの・ゆうき)1996年(平8)5月18日、兵庫県三木市生まれ。8歳からスノーボードを始め、11歳でプロ転向。12年12月のストレートジャンプコンテスト「エア&スタイル」でアジア人初優勝。13年3月のシエラネバダ大会でのW杯初優勝などの活躍で、12-13年シーズンW杯スロープスタイル総合優勝。同12月から日産X-TRAIL所属。14年1月はXゲーム(米国)ビッグエアに出場し銀メダル。173センチ、63キロ。血液型A。