<第88回箱根駅伝>◇2日◇往路◇東京-箱根(5区間108キロ)

 「花の2区」に新たなヒーローが誕生した!

 青学大の出岐雄大(でき・たけひろ=3年)が、歴代8位(日本人4位)の1時間7分26秒で同校史上初の区間賞を獲得した。12位でタスキを受けると、昨年17人抜きを演じた東海大の村沢明伸(3年)を抜き去るなど、9人抜きの快走で同校を箱根史上最高3位まで押し上げた。チームは終盤に失速したものの、1969年(昭44)の5位に続く往路2番目の好成績の7位でゴールした。

 前へ前へと突き出した。1分でも、1秒でも速く駆けようと腕を、足を、何より胸を。「変な走り方と言われるんです。汚いって」。独学で身に付けたそんな走法が、出岐を押し上げた。花の2区で9人抜き。日本人歴代4位の1時間7分26秒で、首位との差を1分9秒も縮めてみせた。「最高の舞台で最高の走りができた。2区は本当に特別な区間。そこで120%の走りが出せました」。同校史上初の区間賞。出来すぎな結果に、顔がほころんだ。

 村沢の陰に隠れたが、実は昨年2区で11人抜きを演じた。ところが、同12月中旬に右かかとを痛めた。スタート直前の状態は「ベストの7、8割。3年間で一番不安だった」。そんな心を、前を行く好敵手の存在が打ち消してくれた。

 12位で受けたタスキ。9秒前にはあの村沢がいた。同学年ながら昨年は「あっという間」に追い抜かれ、並走もできなかった。今年は意識が違った。「ついて行く」。10キロ過ぎ、その背中に追いついた。他校を次々とかわし、抜きつ抜かれつを演じる中で「今日は自分の方が動きが良い」と見抜く余裕があった。15キロ過ぎ、ついに引き離した。ゴール後はぶっ倒れた。だが、足の痛みは感じなかった。「1時間8分半が目標だったので満足です」。159センチの体全体で喜んだ。

 陸上歴はたった5年しかない。最初は野球少年、中学から高校入学時はサッカー部員だった。だが、1年の冬に長崎県駅伝に駆り出され、1区16位ながら走る楽しさを知り、1月に転部した。実家は長崎市内の150段の坂の上。「小学校から毎日歩き、足腰は強い方でした」。レース前には地元のカステラを4切れ食べる験担ぎで力を蓄えた。長崎で育んだ力が「物心ついたときから見ていた」箱根駅伝で、真価を発揮した。

 陸上は高校で終えるつもりだった。誘われた大学では教員になるつもりだった。その夢は今「フルマラソンで五輪出場」と変わった。ただ、その前に大学入学時、同学年の仲間と交わした約束がある。「3年で箱根総合3位。4年で優勝」。「1年に1度の大事な大会」という、夢の舞台に懸ける思いの強さが、最高の出来栄えとなった。【今村健人】

 ◆出岐雄大(でき・たけひろ)1990年(平2)4月12日、長崎市生まれ。長崎北陽台高では当初、サッカー部に入部するも1年の冬、助っ人で出場した駅伝の県大会で魅力にはまり、陸上部に転部。09年青山学院大入学。昨年2区で11人抜きの区間4位と好走。昨年8月ユニバーシアードのハーフマラソンで6位入賞。同10月高島平・日刊スポーツロードレース(20キロ)では大会タイ記録で優勝。1万メートルの自己ベストは29分2秒10。159センチ、54キロ。家族は両親と弟、祖母。