陸上長距離界の名門、エスビー食品陸上部が、来年3月末で廃部となることが決まった。同社スポーツ推進局の瀬古利彦局長(56)が8月31日、都内で会見し「厳しい経営環境下、苦渋の末に廃部することに至りました」と、同社の経営合理化による決定であることを説明。今後は選手6人と瀬古氏を含むスタッフ6人がそろって移籍できる受け入れ先を探すことになる。

 突然の発表だった。「現場に伝えられたのは、今日だった」と瀬古氏。会社側は「経営状況から総合的に判断」と競技成績との直接の関連は認めなかったが、同氏は「成績も理由の1つにあったかもしれない」と話した。80年代には全日本実業団駅伝で4連覇するなど多くの名選手を輩出してきたが、近年は低迷。その影響は否定できない。

 瀬古氏が入社した80年から、陸上部は同社の「顔」だった。しかし、同氏が88年に引退し、監督に就任してからは不運続き。90年には主力選手を合宿中の交通事故で失い、渡辺康幸ら有望選手も伸び悩んだ。企業として最大のPRになる全日本実業団駅伝は01年から出場さえできず、ロンドン五輪にも選手を送れなかった。「本当に寂しい。現役の時は多少恩返しできたが(指導者として)会社を満足させられなかったという気持ちもある」と、同氏は自らの責任を口にした。

 田幸寛史監督は「新しい環境で(16年五輪の)リオデジャネイロに向けて鍛えたい」と新天地を求めて言った。08年北京五輪代表の竹沢も「瀬古局長、田幸監督の下で頑張ってきたので残念。早く気持ちを切り替え、前を向いて練習に励みたい」とコメントした。「基本的に12人全員が一緒というのを前提に企業を探したい。新しいところでもエスビーの魂を受け継いでいきたい」と、瀬古氏は前向きに話していた。

 ◆エスビー食品陸上部

 1954年(昭29)に企業スポーツの草分け的な存在として創部。58年の日本実業団連合結成と同時に加盟した。80年に中村清氏(故人)が監督に就任し、瀬古利彦、新宅永灯至、中村孝生が入社。その後、中村監督を慕って有力選手が加入、84年から全日本実業団駅伝で4連覇する黄金期を迎えた。しかし、85年に中村監督が死去し、90年には合宿中の交通事故で部員2人が死亡。その後部員不足に苦しむなど低迷が続いていた。