大相撲の名物行司で、1月29日に肝細胞がんで死去した木村正直(まさなお=朝日山)の山内幸久さん(享年59)の通夜が5日、東京・港区の増上寺で営まれた。遺影は最後の土俵となった昨年11月の九州場所での勇姿で、この時に着ていた青地の装束が棺に入れられた。

 会場では、三役格の正直さんが生前に選んだ自慢の3番が映像で流された。すべて昨年の取組で、春場所の稀勢の里-時天空戦、夏場所の琴欧洲-豊響戦、秋場所の日馬富士-隠岐の海戦。いずれも物言いが付くような際どい相撲だったが、すべて軍配通りに勝負が決した。自分の最期を覚悟し、協会の映像部に編集を頼み、DVDは初場所直前に届けられたという。

 朝日山親方(元大関大受)は遺影を見つめ「あの時はもう重いものは持てず、軽い軍配だった。仕事が好きだった」と故人をしのんだ。相撲や行司が大好きで、収集家でもあった。今も相撲博物館には、所有する23代木村庄之助の装束を貸してあるほど。妻禎子さんは「給料は全部、相撲の物を買っていた。資料館は作れなかったけど、飾るところを作ってあげようかな。それが終わらないと、私は死ねません。生きて、庄之助になりたかったのに…」と振り返った。

 派手な所作に、しゃがれ声での「ながった、ながった」。屈指の人気行司は、数々の逸話を残した。葬儀・告別式は今日6日午前11時から、同所で営まれる。【佐々木一郎】