- 日米通算100勝を達成したランディ・メッセンジャー(2019年4月5日撮影)
どうしても、毎日がうまくいかない。仕事に力だって入らない…。365日を生きていたら、そんな日だってある。それはオジサン社会人でも、桜に胸を躍らせる新卒社会人でも。プロ野球選手にだってある。現状打破には「きっかけ」が必要だ。ただ、悩みを抱えるような難しい話ではない。「たった一言」で人間は本気になれる。
日本野球を教わった恩師にささげる投球だった。阪神ランディ・メッセンジャー投手(37)が5日広島戦(マツダスタジアム)で日米通算100勝を達成した。
「うれしいけど、自分としてはNPBだけの100勝に意味がある。そのときにもっと大きく喜びたい」
日本だけでの通算100勝には残り4勝。向上心あふれるメッセンジャーならではのコメントだった。
来日10年目。「イエス! 日本人!」と話すように、今季からは日本人枠での扱いとなった。
今では虎の大黒柱であるメッセンジャーだが、来日当初は順風満帆とはいかなかった。150キロを超える直球には球威があり、パワーピッチャーと評された。だが、狙い球を絞られて痛打されるパターンが多々あった。悩んだ末、相談したのが当時の久保康生投手コーチ(61・現ソフトバンク2軍投手コーチ)だった。
「そうだ、カーブを覚えてみようか」
久保コーチは悩みを見抜いていた。単調になりがちなピッチングには、新たな球種が必要だった。持ち球を増やすために、ボールの握りを伝授。ブルペンで傾斜を使って、カーブ習得に取り組んだ。「カーブをうまく投げるには、肘の位置が高く上がらないと投げられない。そうなれば真っすぐもビシッと投げられるよ、と言ったね。懐かしいなぁ、あの頃が」とは久保コーチ。メッセンジャーも「今まで投げたことがなかったから、新しいカーブは新鮮だった」と、これまでに明かしている。今となっては、緩急を使う縦割りのカーブがメッセンジャーの「生命線」でもある。
悩んだら、誰かに相談するのが一番だ。客観的に映る自らの姿を、懇切丁寧に教えてくれる。
だからこそ、別れは寂しいものだった。17年オフに久保コーチは阪神を退団。メッセンジャーは、懐かしの鳴尾浜で小さく首を振り、目を閉じて話した。
「大好きだったから、寂しいよ」
日米通算100勝を達成した当日は、阪神-ソフトバンクの2軍戦が鳴尾浜であった。車に乗り込む際、久保コーチに聞いた。
「100勝? おめでたいですね。もう、違うチームの選手ですけどね。あのとき一緒にやってね。あなたの1ページに入れてよかったよと伝えてください。100勝の中に少しでも」
きっかけは人それぞれ。恩返しは結果で示すもの。大きく花を咲かしたメッセンジャーは「あっぱれ」である。【阪神担当 真柴健】
- 久保康生コーチ(手前)の教えを受けるランディ・メッセンジャー(2010年9月20日撮影)