10年前の3月11日。ヤクルト太田裕哉監督付広報兼打撃投手(32)と記者は宮城県民だった。多賀城市出身の太田氏は日本製紙石巻の投手、仙台市出身の記者は高校生。あれから10年。それぞれ球団スタッフと担当記者となった。ともに、地元を離れていても、ふるさとを思う気持ちはいつまでも変わらない。
太田氏は11年ドラフト4位でヤクルトに入団。震災の年に石巻を離れることになった。炊き出しの手伝いや、復興作業のボランティアをやってきた中でのプロ入り。「プロに行くという目標で変わらずやっていたけど、この状況で日本製紙を離れるのが心苦しいというか。複雑だった」。まだまだがれきの残る石巻を去ることになる。後ろ髪を引かれる思いだったが、背中を押してくれたのは会社や地元の人々だった。「石巻の人たちはみんな優しかった。温かい人たちばかりで。大変な中でも頑張ってこいと送り出してくれたし、すごく感謝している」と優しげに語った。
知らない人なのに「どうもね」とあいさつをしてくれる。「頑張れよ」と差し入れをくれる。そんな温かい石巻の人たちが大好きだ。「まだ戻り切れていない部分もあると思う。昔みたいに活気のある石巻の姿に戻ってほしいというのが一番」と街の将来を願った。
記者にとっても高校卒業まで18年間過ごした宮城への思いは忘れない。10年前は、単なる野球が好きな高校生の1人に過ぎなかった。10年たち、縁に恵まれ、こうして自分の思うことを文字で載せることができている。スポーツ界にも東北を思う人たちがたくさんいる。その強い愛を被災地の人たちへ届けられるように…。いま一度気を引き締めて、仕事をしていきたいと思った。
◆太田裕哉(おおた・ゆうや)1988年(昭63)8月16日生まれ。宮城県多賀城市出身。一関学院時代は06年センバツに希望枠で選出。日産自動車から日本製紙石巻を経て、11年ドラフト4位でヤクルトに入団。13年に現役引退。現在は打撃投手兼監督付広報。左投げ左打ち。




