雨にたたられた夏の甲子園も中盤戦に入ってきた。取材を担当するロッテでは小島和哉投手(25)が母校・浦和学院(埼玉)の試合を「試合開始から終了までテレビで見ることができました」と明かした。

高校の硬式野球部に所属していなかった和田康士朗外野手(22)以外はロッテの選手や首脳陣は皆、かつては高校球児だった。中には日刊スポーツの記事に載った選手もいる。

弊社のデータベースで当時の記事を読んでみると、けっこう面白い。一部を紹介する。

07年夏、成田(千葉)の唐川侑己投手(3年)は「高校BIG3」の一角として注目された。1歳年上の早大・斎藤佑樹投手(1年)とは同じ鍼灸(しんきゅう)院に通い、会話を交わすこともあった。

12年夏、日野(東京)の佐々木千隼投手(3年)は投打に大活躍で、西東京大会の「日野旋風」をけん引した。早実の友人から打撃用手袋を借り、高校通算33号を放った。

14年夏、西日本短大付(福岡)の小野郁投手(3年)の登板にはロッテのスカウトも視察に訪れた。試合中盤に右手中指の血豆が破れたが、炎天下で173球を投げて完投勝利した。

15年夏、秋田商の成田翔投手(3年)は甲子園の龍谷(佐賀)戦で16奪三振をマークした。途中に直球を狙われていると感じるも「それで打たれたらそこまでの投手」とあえて直球勝負を続けた。

17年夏、履正社(大阪)の安田尚憲内野手(3年)は府大会で大阪桐蔭に敗れた。「最後の相手が桐蔭でよかった。お互いにしのぎを削ってやってきて、成長できた」と目を赤くしながら感謝した。

18年夏、明桜(秋田)の山口航輝外野手(3年)は最後の夏の甲子園出場がついえた。ライバルの金足農・吉田輝星投手(3年)について「これからの人生で成功したり、あいつを抜かせる将来にできるようにしたいです」と誓った。

同じ夏、大阪桐蔭の藤原恭大外野手(3年)は春夏連覇を成し遂げ、何度も日刊スポーツの1面を飾った。「まだまだですけど、最終的にはトリプルスリーを目標にしたい」と語った。

記事は山ほどあるけれど、キリがないのでここまで。最後に1人だけ。

「春先に強引な打撃でフォームが崩れ、居残り1時間の打ち込みと、帰宅後のバドミントンのシャトル打ちを欠かさず、夏までにスイングを修正した」

92年夏、国学院久我山(西東京)の井口忠仁内野手(3年)の記事も、しっかりとデータベースに収められている。【ロッテ担当=金子真仁】

東海大浦安対成田 試合後0の並んだスコアボードをバックにキャッチボールをする唐川侑己(07年7月25日)
東海大浦安対成田 試合後0の並んだスコアボードをバックにキャッチボールをする唐川侑己(07年7月25日)
大阪桐蔭対履正社 7回裏履正社1死一塁、安田(左)は中堅への大飛球を放つも好捕され、悔しそうな表情を見せる(2017年7月29日)
大阪桐蔭対履正社 7回裏履正社1死一塁、安田(左)は中堅への大飛球を放つも好捕され、悔しそうな表情を見せる(2017年7月29日)
東亜学園対国学院久我山 東亜学園にサヨナラ勝ちし、試合後、カメラマンのリクエストに応えバットを手に笑顔を見せる国学院久我山・井口忠仁※延長12回裏に同点打(1992年7月25日)
東亜学園対国学院久我山 東亜学園にサヨナラ勝ちし、試合後、カメラマンのリクエストに応えバットを手に笑顔を見せる国学院久我山・井口忠仁※延長12回裏に同点打(1992年7月25日)