2ケタ背番号を背負って、大観衆の前でのプレーを目指す若武者たちがいる。背番号3ケタを背負う「育成選手」。社会人野球の廃部などの背景もあり、若手選手の発掘と育成という理念のもとに05年に育成選手制度が誕生した。

支配下選手の70人枠には入らないため、1軍には登板できない。2軍(上限は1チーム5人)や3軍で結果を積み上げ、支配下を目指してアピールを重ねている。3軍制を敷く巨人では22年、33選手が育成選手でスタートし、8選手が支配下選手契約を勝ち取った。

来季で勝負の3年目を迎える笠島尚樹投手(20)もその1人。20年の育成ドラフト1位で入団したサイドスロー右腕で、イースタン・リーグでは通算24試合に登板してきた。ただ、1軍のマウンドにはまだ届かない。再契約される可能性もあるが、育成契約期間の3年は来季で終わる。「支配下を目標にしていると、活躍できずにすぐ終わってしまう。最低でも支配下、1軍で15試合くらい登板するくらいの気持ちでいたい」と勝負をかける。

支配下選手との違いは当然ある。なにより大きいのが、年間スケジュールの違い。育成から支配下に上がる期限は、例年7月末まで。8月に入れば、そのシーズン中に1軍に上がる可能性はない。7月までに新外国人やトレードで加入する選手と支配下の70人の枠を争う必要がある。笠島も「シーズン中は、あと何枠空いてるかは気にします。育成から支配下に上がった選手がいたら、祝福の気持ちも多少はありますが、やっぱり悔しさと焦りの方が大きいです」とリアルな心境を明かした。

秋季練習では、実戦形式のシート打撃で好投しアピール。登板後、原監督から直々に「気持ちを強く持って投げなさい」とアドバイスを受けた。元々強気に押すスタイルだったが、「より、強気で内角も攻められるように」と意識が高まった。しかし、宮崎での秋季キャンプメンバーには選ばれず。「それが今の自分のレベルかなと。変にプライドを持っても状況は変わらない。受け入れて進むだけです」と前を向いた。

1月は昨年に続いて戸郷に弟子入り。勝負の1年を前に学べる部分は全て学ぶつもりだ。「2つしか年は変わらないけど、すごい人だし、考え方もしっかりして大人だなと思う。仲良いからこそ聞ける部分もある。自分からいっぱい質問して学べるところを全部吸収して来季に生かしたい」とギラついている。

メッツ入団が決まった千賀や侍ジャパン常連のソフト甲斐、巨人でも山口鉄也投手コーチら育成から球界を代表する選手に成長した例もある。「今はまだまだですけど、勇気はもらえます。少しでも近づけるように、死に物狂いで頑張ります」と笠島。大観衆の前で浴びるスポットライトを信じて、野球人生をかけた1年にする。【巨人担当=小早川宗一郎】