甲子園での決戦前夜、阪神石井大智投手(26)は、涙を我慢して恩師と電話していた。

10月30日に四国IL高知の吉田豊彦監督(57)の退任が発表された。秋田高専を経て独立リーグの同球団に入団した時、投手コーチだった。「僕からしたら恩師なので。技術もメンタルも全て教わった。あの人のもとで育ったと言っても過言ではない」。その夜に電話を入れた。

「ちょっと泣きそうになって…」。こらえた。「高知に行ったら吉田さんがいるっていう感覚があるので、さびしいですね」。しんみりとした感情もあったが、吉田氏の言葉で戦闘モードに入った。

「今のマウンドでの冷静さを持っていれば、お前なら大丈夫って言っていてだいただきました」

同31日のオリックス戦(甲子園)で日本シリーズ初登板を果たし、1回無失点。恩師の言葉通り、走者を許しても平常心を保った。

NPBを目指す途中、1度だけブレそうになったことがある。高知入団2年目の19年。個人成績は軒並み上位につけ、野球雑誌にも「ドラフト候補」の見出しが躍るほどの活躍。ただ、NPB12球団から調査書が届くことはなかった。不安になった。

「BCリーグの指名が多かったんです。そこで、BCリーグに移籍した方がいいんじゃないかな…なんて個人的に考えていた。そんなお話をしたら、食事行くぞ! って言っていただいて」

寮の近くの焼き鳥屋。2人で焼き鳥をほお張り、酒を胃に流し込んだ。

「お前には、ここが足りない、ここが足りない、ここが足りない…って。克服したら、絶対にNPBに行けるからって。そこで、僕はこの人のもとじゃないとダメなんじゃないかって思ったんです」

高知に残った。1年後、阪神からドラフト8位指名を受けた。あの夜の2人の時間がなければ、NPBの舞台nたどり着いていなかったかもしれない。

石井には、ひそかに掲げる目標がある。

「NPBで吉田さんの登板数を超えること。619試合でしたよね。619で合ってると思います。超えることが恩返しにつながるかなと思っています」

合っていた。吉田氏がダイエー、阪神、近鉄などを渡り歩き積み上げたのは619試合登板。石井はプロ3年間で80試合だ。日本一、そして、その先のゴールへ。涙も忘れるくらい、必死に腕を振り続ける。【阪神担当 中野椋】

指名あいさつを受けた四国IL・高知の(左から)石井大智、吉田監督、武政代表取締役。向かい側は阪神の(右から)山本スカウト、畑山統括スカウト(2020年11月3日撮影)
指名あいさつを受けた四国IL・高知の(左から)石井大智、吉田監督、武政代表取締役。向かい側は阪神の(右から)山本スカウト、畑山統括スカウト(2020年11月3日撮影)