1月から久しぶりに阪神担当になり、極寒の鳴尾浜や全国各地の自主トレ取材に赴きながら、こんな感じだったなと懐かしさを感じている。「虎番」に入るのは優勝した05年以来。あのときも岡田阪神だった。

当時のV戦士はもちろん全員が現役引退している。今の阪神には、大学生の息子と変わらない年齢の選手も多い。それでも、あいさつをすればみんな名刺を両手で受け取ってくれるし「よろしくお願いします。●●です」と丁寧に名乗ってくれる。球団の教育が行き届いていると感じるし、もちろん彼ら自身に聡明(そうめい)さもある。

昨年末まではアマ野球の担当だったため、スカウトと話す機会が多かった。選手を評価するにあたって、性格は十分にチェックすると聞いていた。プロ野球は一筋縄ではいかない世界。その中で台頭するには強烈な自我や、独特な感性も必要だが、一方でバランス感覚や客観的視点なども重要になっているという。

合点がいく出来事があった。昨秋の明治神宮大会。青学大の主戦投手だった下村海翔を初めて取材した。ドラフト後の大会だったため、阪神担当も集結した。

初戦は好投して勝ったが、まったく本調子ではなかった。「力んで空回りしてしまいました」と理由を語ったが、ドラフト1位の重圧については明確に否定した。私は意地悪く「強がりかな」と思っていた。

次の試合。下村の登板はなかったにも関わらず、報道陣の強い希望により、また取材の輪が生じた。自ら「正直言うと、初戦は結構、プレッシャーを感じていました」と切り出したので、少し驚いた。

阪神のドラフト1位の肩書がじわりと両肩にのしかかり、メディアの取材攻勢にも面食らっていたようだ。それは当たり前のこと。ナーバスにならない人はたぶんいない。しかし、下村は揺れ動く心理状況を客観視して、自分から表現した。ドラフト時、畑山統括スカウトが「強い精神力を持っている」と評価していたが、その意味が何となく分かった。タフなだけでなく、しなやかさがある。

約2カ月後、鳴尾浜でプロの下村を取材することになった。キャンプインが迫る1月23日には背中の張りで練習を途中で切り上げた。ドラ1の“リタイア”なら報道陣もがぜん、色めき立つところ。

2日後。平然と練習に復帰すると、症状について初めて口を開いた。「違和感の段階で自分から報告できたことが、自分にとってはよかったです。大きなケガにつながらなかったので」。周囲が騒ぎ立てる可能性も恐れず、トレーナーとコミュニケーションをとり、ベストな選択をした。簡単なようで、なかなかできることではない。

自分が若手記者だった05年はてんてこ舞いした記憶しかない。長い年月を経た今回は下村のようにタフに、しなやかに取材にいそしみたい。【阪神担当=柏原誠】

阪神下村海翔(2024年1月25日撮影)
阪神下村海翔(2024年1月25日撮影)