「時代は変わるもんですね。今昔物語ですね」-。

大挙押し寄せたファンを見ながら、オリックス湊通夫(みなと・みちお)球団社長兼オーナー代行が感慨深そうにつぶやいた。宮崎・SOKKENスタジアムの正面口から目に飛び込むのは人、人、人…。立ち話をしている私たちの隣では、広報歴10年以上の町豪将チーフが「お客さんの数、カコイチですよ」とうれしそう。観客、来賓、球界関係者、報道陣への対応などで走り回り、笑顔で大汗をかいていた。

宮崎キャンプ第3クールの初日の10日。発表された観客数は2万1000人。沖縄・宮古島から移転し、今年10周年を迎えた宮崎キャンプの練習日では最多となった。これまでの記録は移転2年目の16年2月14日、広島との練習試合に2万8000人。それに次ぐ来場者数で大いに盛り上がった。まさに3連覇効果。この日は3連休の初日という条件も重なった。

私はこの1月からオリックス担当に復帰した。15~17年以来、7年ぶり。つまり宮崎キャンプ初年度からの3年間を見てきた。当時はすべてBクラス。はっきり言って人気はなく、移転してもキャンプは閑散としていた。球団専務だった湊球団社長と思い出話が進む間に、“珍事件”とも言える観客ネタを思い出した。

トークショーなどイベントを行う特設ステージが、遠く離れた今とは違って、メイン球場のすぐそばにあった。ある午後の打撃練習中、球団公式ダンス&ボーカルユニット「BsGirls」が、そのステージでライブを始めた。歌って踊れる彼女たちには多くの固定ファンがいた。するとどうだ。客席で練習を眺めていた男性の多くが、ライブ観戦のため球場外に移動。ただでさえ人が少ないスタンドが、ガラガラになってしまったのだ。

観客ほぼ不在となったグラウンドでは選手の打球音がカコーン、カコーンと響く。一方で、球場の外からは、ノリノリの曲に合わせた男性ファンの手拍子、かけ声が大音量で聞こえてくる。現GMの福良淳一監督が「なんや、あの騒ぎは?」といぶかしんだ記憶がある。今思えば、なんとシュールな構図。悲しいかな、それくらい人気がなかった。ちなみに当時1軍マネジャーの佐藤広管理部副部長によれば、特設ステージが球場横から今の位置に遠ざかったのは「外がうるさすぎる」とチーム内からクレームが出たからとのこと。

今は球団の選手売り出し方法も功を奏し、女性人気がすさまじい。キャンプの来場者も半分以上が女性だろう。そしてユニホーム姿が目立つ。興味本位や“にわか”ではない、正真正銘のファンだ。ある球団スタッフが言った。

「今のウチの選手は『会いに行けるアイドル』みたいな感じじゃないですか」。そんなAKB48で聞いたコンセプトは、確かに言い得て妙だ。山崎颯一郎、山岡泰輔らがイケメンでも注目された。そして今キャンプでは、主力組以外の顔面偏差値が高い選手にも、女性ファンが熱いまなざしを送っている。

選手たちは練習の合間、ファンの求めに応じ、できる限りペンを走らせている。ある日の練習終わりの山岡は、30分おきにやってくるチームバスを2本見送ってひたすらサイン。指が腱鞘(けんしょう)炎にならないか心配するほどだ。そしてある若手選手が言った。「たくさん見られているから、練習もまったく手を抜けないです」。観客の多さはそんな効果もある。

まさに「今昔物語」。チームと行動をともにする担当記者も勝てばうれしく、負ければ悲しい。私は前回のオリックス担当時、なぜ勝てないのかとずっと怒っていた。そんな文句をなだめながら聞いてくれていた湊球団社長の横で、私も時代の流れを痛感した。【オリックス担当=大池和幸】

能登半島地震で募金活動をする山崎(左)らオリックスの選手(撮影・和賀正仁)
能登半島地震で募金活動をする山崎(左)らオリックスの選手(撮影・和賀正仁)
球場の外壁には2015年からの宮崎キャンプ10周年の歴史が
球場の外壁には2015年からの宮崎キャンプ10周年の歴史が
球場の外壁には2015年からの宮崎キャンプ10周年の歴史が
球場の外壁には2015年からの宮崎キャンプ10周年の歴史が
球場の外壁には2015年からの宮崎キャンプ10周年の歴史が
球場の外壁には2015年からの宮崎キャンプ10周年の歴史が
能登半島地震で募金活動をする山崎(左)らオリックスの選手(撮影・和賀正仁)
能登半島地震で募金活動をする山崎(左)らオリックスの選手(撮影・和賀正仁)
週末を迎えオリックスのキャンプ地には2万人を超えるファンが詰めかけた(撮影・和賀正仁)
週末を迎えオリックスのキャンプ地には2万人を超えるファンが詰めかけた(撮影・和賀正仁)
週末を迎えオリックスのキャンプ地には2万人を超えるファンが詰めかけた(撮影・和賀正仁)
週末を迎えオリックスのキャンプ地には2万人を超えるファンが詰めかけた(撮影・和賀正仁)