今季限りで阪神を退団した岡崎太一捕手(37)が現役引退を決断したことが22日、分かった。来季は阪神プロスカウトに就任する見込みだ。入団数年後には「もうクビを心配していた」と振り返るが、泥臭く縦じまひと筋16年を全う。妥協なき努力の裏には「2つの習慣」があった。

17年6月、日本ハム戦の4回裏、左越え2点本塁打を放つ阪神岡崎
17年6月、日本ハム戦の4回裏、左越え2点本塁打を放つ阪神岡崎

2、3年前だったか。岡崎は一冊の人気ビジネス書を読みふけった。

「自分がずっと思い描いていたことが書かれていて、やっぱりそうだよな、と。その本でもすごく納得できた2つの考え方は、最後まで貫けたかな」

プロ16年間のラスト2年間は1軍出場なし。2軍では早朝5時30分起床、6時45分に鳴尾浜球場着、全体練習前にウエートトレ、打撃練習というルーティンを継続した。必ず捕手用レガースの泥をタオルで落としてから試合に臨んだ。

「自分がコントロールできることだけに目を向ける。絶対に言い訳しない」

ポリシーを貫き通した現役生活に、後悔はない。

17年6月、日本ハム戦で左前サヨナラ適時打を放ち、ガッツポーズする阪神岡崎
17年6月、日本ハム戦で左前サヨナラ適時打を放ち、ガッツポーズする阪神岡崎

04年秋、松下電器(現パナソニック)から自由枠で阪神入団。5年目の09年に1軍初出場したが、球団は同年オフにマリナーズから城島健司を獲得。10年オフには楽天から藤井彰人、12年オフはオリックスから日高剛が新加入した。1歳上には生え抜きの狩野恵輔もいた。分厚い壁にはね返され続け、2軍戦で一塁や三塁を守る機会も少なくなかった。それでも苦悩の期間は財産になったという。

「プロ3、4年目にはもうクビを心配していた。でも、実績のある選手の補強に関しては、ずっと結果を出せずにいた自分の責任だから。使ってもらえない時期があったから自分と向き合えた。愚痴や弱音を吐かずにやれるようになった」

金本知憲監督就任1年目の16年、入団12年目で初めて1軍開幕戦の先発マスクをかぶり「泣きそうになった」。17年にはプロ初本塁打となる逆転2ランの翌日にプロ初のサヨナラ打。「野球の神様」は努力の虫にご褒美も忘れなかった。

阪神岡崎の年度別成績
阪神岡崎の年度別成績

現役生活の終盤、岡崎が出会った一冊は「7つの習慣」(スティーブン・R・コヴィー著)。「主体的である」「終わりを思い描くことから始める」という2つの習慣が「今の生き方につながっている」という。

「1つ目は何事もリアクションにならず、自分の人生は自分で決めるということ。いろんな人がいろんなことを教えてくれるけど、決断するのは自分なのだから人のせいにしない。2つ目は物事は無限と思いがちだけど、必ず終わりが来るということ。『今日が現役最後の1日だったらどう準備するか』を考えて、毎日野球と向き合ってきた」

11月4日、戦力外通告を受けた。「監督、コーチ、先輩に恵まれた。16年もやらせてもらえて感謝しかない」。1軍通算119試合出場で現役引退。「数字だけを見れば恥ずかしい成績だけど…」。妥協しなかった日々に悔いはない。

「次は違った角度から野球を見て、いろんな人の話を聞かせてもらって、どういう形であれ野球に携わって恩返ししていきたい。いつかは指導者になれたらという気持ちもあるので」

来季はプロスカウトに就任する見込み。新たな職場でも「2つの習慣」を大切にする。【佐井陽介】(所属、肩書は当時、敬称略)

20年阪神退団選手
20年阪神退団選手

◆岡崎太一(おかざき・たいち)1983年(昭58)6月20日、奈良県生まれ。智弁学園3年時に甲子園春夏出場。松下電器(現パナソニック)を経て04年自由枠で阪神入団。初先発マスクは09年4月7日広島戦。16年に自己最多の1軍38試合出場。1軍通算119試合出場で打率1割8分5厘、2本塁打。180センチ、82キロ。右投げ右打ち。