「ごめん」。10月11日、ドラフト会議後、母明子さんに電話した亜大・松本健吾投手(4年)の第一声だった。「大丈夫よ。ずっと応援しているから」。母は明るく応えてくれた。

ドラフト漏れし、現在の心境を語る亜大・松本(撮影・保坂淑子)
ドラフト漏れし、現在の心境を語る亜大・松本(撮影・保坂淑子)

大学2年の秋からエースとして活躍。早くからドラフト候補と期待されたが、ドラフト会議で名前が呼ばれることはなかった。その夜、寮に帰ると同部屋の樋口成投手(4年)が「お前…頑張っているのにな…」と涙をこぼした。チームメートが次々と部屋を訪れ「健吾なら大丈夫」「2年後な」と声をかけてくれた。部屋の前には「負けるな」と大きくペンで書いたお菓子の袋。「申し訳なかったですね。みんなに気をつかわせてしまって…。僕は周りに恵まれていますね」。家族、そして仲間の温かい気持ちに、行き場のない悔しさがほんのわずか救われた気がした。

高校3年夏は東海大菅生のエースとして夏の甲子園4強入りし、鳴り物入りで亜大に進学した。最速147キロの直球に、スライダー、ツーシーム。制球力を武器に1年秋に神宮デビューを果たすと、4年春には3勝3敗で防御率1・61。最後の秋はプロへ、勝負をかけた。しかし9試合に登板し1勝3敗。結果を残せずチームも優勝を逃した。

自分を信じきれなかった。力強い直球を強みにしていたが、直球を捉えられると、すぐに変化球でかわそうとした。「攻める気持ちはあったんですが、どこかで迷いがあった」。自分が一番信じられるボールは何なのか。打たれた悪いイメージを拭いきれず、眠れぬ日々が続いた。逃げの投球で走者をため、長打でかえされビッグイニングをつくった。「情けなかった。秋は自分がチームを終わらせてしまった。その悔しさが一番でした」。ドラフト当日も中大戦に先発し、2回5失点で降板。チームも0-7で敗戦した。「正直、指名漏れに『ああ、やっぱりな』という気持ちでした」と本心を明かした。それでもこの4年間に悔いはない。「僕がプロなんて」と思っていた高3から4年。プロに挑戦できるまでに成長した。「この4年間は大きな財産です」と今後のステップに変える。

卒業後は社会人で野球を続ける。29人の卒業生をプロに送り出してきた生田監督は、かつてこんなことを話していた。「他の選手たちは、就職試験に落ちたらまた別の会社を受けに行く。ドラフトで指名されなかったからといって野球をやめるのか? 前を向いて歩きなさい」。松本の人生は、まだこれから。「2年後は圧倒的な力で1位で行きます」。今年、夢はかなわなかったが、人の心の温かさを知った。たくさんの期待を背に松本は前を向く、もっともっと強くなるために。【保坂淑子】

(この項おわり)