記者には「忘れられない味」がある。時に孤独に、時にワイワイと、あらゆる場所で、あらゆるシチュエーションで食する味は、取材の思い出として記憶と味覚に刻まれる。「忘れられない味 Season4」を、ご賞味あれ。

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北海道で育った私が、東京で好きになった味がある。それは「銀杏(ぎんなん)」だ。全国どこでも手に入るし、特別珍しい食材でもない。母や祖母がつくる茶わん蒸しにだって、必ず入っていた、あの黄色いヤツ。でも、小さいころは、おいしいと思ったことは1度もなかった。今は、焼き鳥屋へ行ったら、必ず注文するほど銀杏が好きだ。それは、私にとって「東京の味」なのだ。

もう、ずいぶん前のこと。初めて東京で1人暮らしをした時、私はまだ、駆け出しのプロ野球“番記者”だった。当時の担当球団はヤクルト。前年の07年は最下位で、高田繁新監督を迎えてAクラス入りを狙う。そんな時期だった。ファンの方は知っているだろうが、ヤクルトの選手たちは試合前、本拠地の神宮球場に隣接する「コブシ球場」で、ウオーミングアップや投手練習なんかを行うことがある。大学野球の開催で、球場が使えないからだ。

ナイター前の晴れた日だった。片隅で、何かを拾いながらゆっくり歩いている高田監督がいた。「何をしているんですか?」。そんな問いかけに、笑いながら「家に持って帰って、皮をむいて食べるんだよ」。そっと開いた手のひらには、銀杏の粒が乗っていた。それまで自然の銀杏を食べようと考えたことは、1度もなかった。恥ずかしながら、食用は瓶詰にされたものだと勝手に思っていたのだ。感心していると「簡単、簡単。紙袋とか封筒に入れて、袋の口を3つ折りにして、電子レンジに入れたらいいんだから。奥さんじゃなくて、いつも自分でやっているよ」と、丁寧に手順を教えてくれた。銀杏が食べたかったわけではないけれど、何だかとても楽しそうで、実際につくってみた。

殻付き銀杏を購入し、教えてもらった通りに電子レンジにぶち込んだ。「ぽんっ、ぽんっ」とポップコーンのように紙袋の中ではじける音がする。理科の実験みたいで、わくわくした。ひびの入った殻を手で割り、薄皮をむいて、塩を振って出来上がり。テクニックはいらないけれど、皮をむく作業は面倒くさい。手間をかけたぶん、ゆっくり吟味して飲み込んだ。大人になって食べる銀杏は優しい苦味が気に入って、すぐに「好きな食べ物リスト」に加わった。以来、中毒にならないよう量に気を付けながら、大切に食べるようにしている。

牧歌的で平和な記憶だが、実際のシーズンは高田監督にとって過酷だった。神宮のヤジが想像していた以上に、強烈だったからだ。高田政権1年目、首位の巨人に6勝18敗と、ことごとく勝てなかった。試合後、ファンの前を通ってクラブハウスへ引き揚げる球場の構造上、ヤジはダイレクトに選手たちの耳に届く。巨人に負けた日、「たかだ~! 巨人の犬~!」とスタンドから罵声が飛んだ。現役時代は俊足を生かした外野守備で「壁際の魔術師」と呼ばれ、巨人のV9を支えた高田監督。優しくユーモアのある人で、グラウンドを離れれば、いつもニコニコしていた印象があった。でも、あの日は違った。悔しさを押し殺すような険しい表情が、忘れられない。

今年もまた、神宮外苑のイチョウ並木が黄色く色づく季節がやってくる。神宮球場を含めた再開発が決まり、最近は何かと周辺が騒がしい。このあたりの風景も、きっと変わってしまうのだろう。ほろ苦い銀杏を思う時、移りゆく時代の流れに感傷的な気分になり、伝説のV9戦士の優しくて苦い記憶が浮かぶ。【中島宙恵】