日刊スポーツ記者による「センバツ 熱戦の舞台裏」の第2回は、浦和実の辻川正彦監督(59)。還暦直前で、憧れだった甲子園の舞台に立てた思いを紹介する。
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やり切った。浦和実の辻川監督は、そんな思いが満ちていた。春夏通じて甲子園初出場ながら、あれよ、あれよという間に4強入り。決勝進出は逃したが「甲子園の舞台で4試合もやらせてもらって感謝しかないです」と感激した。
投手陣を中心とした守りの野球が光った。変則左腕の石戸颯汰投手(3年)が3試合連続無失点でリズムを作ると、攻撃もその流れに乗った。昨秋の公式戦から本塁打はゼロながら、準々決勝の聖光学院(福島)戦では甲子園最多となる延長1イニング8得点。打線のつながりが際立った。智弁和歌山に敗れて大会を去ったが、辻川監督は「選手たちの成長が見られたし、うちのスタイルは最後まで貫けました」と大満足で埼玉へと引き揚げた。
指導者歴35年を超える辻川監督にとっても、夢のような2週間だった。甲子園での公式練習では「ここで試合をやるんだという楽しみやワクワクが強い」と目を輝かせた。大会前最後の練習試合に訪れた記者と話す際にも興奮は冷めやらず「還暦前に第2の青春が来たみたいだね」とうれしそうに笑った。
国士舘大卒業後、保健体育の教諭として88年から同校へ。赴任と同時に野球部監督に就任したが「最初は惨めでしたよ」と苦笑いを浮かべる。練習試合は断られ続け、指導者が集まる場でも話し相手がおらず端っこに追いやられる。自前のグラウンドがなかったため、監督自らバスを運転し部員10人ほどを引き連れて河川敷の球場へ通った。
2000年頃に現在の練習場に移ったが、苦労がなくなったわけではなかった。野球専用ではない長方形のグラウンドは周辺住民との取り決めで午後7時までの利用に限られ、練習試合は他校に出かけて行うしかなかった。寮はなく全員が通い。チームの大半が埼玉出身という「普通の学校」(辻川監督)。バント、走塁、守備など細かな約束事を忠実に遂行することで、強豪校との差を縮め初の甲子園で快進撃につなげた。
センバツを終えると「(甲子園に)1回でも来たらいいかなとずっと思ってたんですけど、1回来たら、また行きたくなりますね」と打ち明けた。夏に向けて新たな目標と課題が見つかった。激戦区・埼玉を勝ち抜くために「守り、バントは100%でいかないといけない。うちは全然王者じゃない。またチャレンジャーの気持ちで」と決意を新たにした。【平山連】
◆辻川正彦(つじかわ・まさひこ)1965年(昭40)4月19日、埼玉・桶川市生まれ。城西大城西-国士舘大を経て、保健体育科教師として浦和実に赴任。当初から硬式野球部の監督を務め、総監督、部長を経て23年8月に現職復帰。教え子に平野将光(元西武)、豆田泰志(西武)。愛読書は赤川次郎。





