広島で通算213勝を挙げ、球団初の名球会投手となった北別府学(きたべっぷ・まなぶ)さんが16日午後0時33分、広島市内の病院で亡くなった。65歳だった。
北別府さんを直接取材したことはなかった。ただ、懇意にさせていただいた元広島の「伝説のスカウト」こと木庭教(きにわ・さとし)さん(故人)から何度か北別府さんの話を聞かされた。
木庭さんは北別府さんのことを「ペイ」と呼んだ。
「ペイほどコントロールの良いピッチャーはおらんよ。ボールの出し入れいうんかな。それが自由自在じゃった。本人に聞いたことがあるんじゃが(踏み出す)左膝で舵を取るいうんか、コントロールをしとったそうじゃ」
北別府さんと言えば「精密機械」と呼ばれた制球力。お手本のようなコンパクトで力みのないフォームから捕手の構えたミットに寸分の狂いなく、ボールを投げ続けることができた。もっとも、木庭さんによればコントロールだけではなかったという。
「ボールのキレというんかなあ。とにかくすごかった」
木庭さんはスピードガンを初めて日本球界に持ち込んだスカウトとしても知られる。が、重視したのはスピードではない。
「数字(スピード)はあくまでも目安。数字に表れないもの。それが大事なんよ」とよく話してくれたものだ。
ある日、こんな話を聞いた。
「ペイの遠投を見たことがあるんじゃが、驚いた」
ある試合前練習のこと。北別府さんは左翼の定位置あたりから本塁へ向かって山なりのボールを投げたという。三塁ベース付近で大きくワンバウンドしたボールがそのままホームベース手前にいた相手のグラブに収まったというのだ。
「ボールにスピンをかけていたんじゃと思うよ。ワンバウンドしてからがすごかった。あんな遠投、初めて見よった」と伝説のスカウトは自慢げに話してくれた。
三塁ベースから本塁までは約27メートル。頭の中で何度イメージしてみても、ワンバウンドしたボールが本塁まで届くことはなかった。
「伝説のスカウト」が語った「伝説の遠投」。
いつかご本人に確かめてみたかった。しかしお話を聞く機会がないまま北別府さんは逝ってしまった。65歳。残念でならない。





