今季限りで現役を引退した巨人山口鉄也投手(35)は、育成選手制度の1期生で夢をつかんだ。06年(平18)からのプロ13年間で642試合に登板。9年連続60試合登板のプロ野球記録を樹立した。「育成」は強化のキーワードとなり、今年の日本シリーズでMVPを獲得したソフトバンク甲斐も育成出身で注目された。平成後期に先駆者となった左腕の歩みを振り返る。

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01年の冬、横浜商に山口鉄也宛てのファクスが届いた。差出人はメジャーリーグの代理人。職員室に呼ばれると、監督の安達清和から「メジャーリーグからテストの話が来たぞ」と言われた。無機質な1枚の紙が、野球人生を大きく動かしていった。

キレのある直球と縦割れのカーブを駆使する本格派として、中学時代から名前は知られていた。名門横浜からも声がかかったが、兄大輔の後を追って「Y校」を選んだ。3年夏の神奈川大会は準々決勝進出。大会後、プロのスカウトが進路調査に訪れた。安達に「おい山口。スカウトが来たぞ。『毎日10キロ走って下半身を鍛えたら、プロでやれるかもしれない』と言っていたぞ」と言われても、信じられなかった。「プロなんて…絶対ウソだ」。

そもそも、野球は高校でやめるつもりでいた。ストイックに鍛錬を重ねるタイプではなかった。「野球から離れて、友達と遊びたかった。監督の話、本当なんて思ってなくて」。1カ月後、スカウトが再訪した。安達も正直に「山口は走っていません」と言った。「スカウトには『練習してない』って、言っておいたから」と電話で伝えられた。「はい、大丈夫です」と答えた。

気ままに残り少ない高校生活を謳歌(おうか)していたが、少しの疑問が湧いてもいた。「遊びって楽しいけど、飽きる。やっぱり野球がやりたいなぁ…」。夏の大会後、届いていたオファーはすべて断っていた。ゼロからの大学探しだったが、中学の野球部の恩師を頼り、国士舘大から内定をもらった。

そこに、ファクスが届いた。夢のような話にも思えた。「アメリカなんて簡単に行けないし、行くだけ行ってみようか」。一方で「自分のわがままで、迷惑をかける」と迷った。家族会議で1つだけ言われた。「自分がやりたいようにやりなさい。何かあったら、私たちが頭を下げるから」。

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テストは米アリゾナで行われた。学校なのか球場の施設なのかも分からない、広大な野原の中にあるブルペンで投げた。屈強な男たちが凝視していた。終わると4球団のスカウトが集まってきた。「今、すぐに決めるなら合格にする」と迫られた。予想だにしない展開に困惑した。「日本で家族と相談させてください」と言うも、なかなか納得してくれない。「唯一、待ってくれたのがダイヤモンドバックスだったんです。大学に入ったつもりで、4年間は頑張る」と決めた。

所属したルーキーリーグから報酬が出るのは6カ月で、毎月10万円だった。貯金して野球がない期間の生活費に充て、日本から仕送りをもらった。3年目もマイナー昇格がなく「ルーキーリーグなのに、ベテランになりました」。期限の4年目も声はかからず、シーズン前に帰国した。

すっかり浦島太郎になっていた…はずが、知人を通じて1人の目利きと出会った。横浜(現DeNA)で長く編成の要職を務めていた亀井進(72)。早鞆(山口)で64年夏の甲子園で準優勝し、大洋でもプレーした右腕。投手を見抜く眼力に定評がある上に人脈も深く、トレードなどで特に能力を発揮していた。

亀井は横浜の入団テストを用意した。不合格になると楽天のテストも調整。楽天も不合格となってもあきらめなかった。自分の所属に縁はなくとも、絶対プロに入るべき素材だと確信していた。「巨人もあるから」と受験を勧めた。

巨人のテストは、兄の草野球チームのユニホームで臨んだ。「そこまでのテストで投げすぎて、肩が痛かった」。アメリカで仕込んだチェンジアップを多投した。「これで野球も終わりかなぁ」と少しの感傷に浸った。しかし数日後、ファクスが届いたあの時と同じような、思いも寄らない展開が待っていた。

巨人軍から電話が鳴った。「ドラフトで指名したい」。会議の前日、もう1回電話が鳴った。「今年から育成ドラフトが始まります。山口君はその育成枠で指名させていただきます。支度金100万円、年俸は240万円です」。当初とは大幅ダウン、しかも「育成」という初耳の言葉があった。(敬称略=つづく)【宮下敬至、久保賢吾】

◆山口鉄也(やまぐち・てつや)1983年(昭58)11月11日、神奈川県生まれ。横浜商を卒業後、米ルーキーリーグに所属し、3年間で7勝。入団テストを経て05年育成ドラフト1巡目で巨人入団。07年4月に支配下選手登録された。08年新人王。09、12、13年に最優秀中継ぎ投手。184センチ、88キロ。左投げ左打ち。

山口鉄の年度別成績
山口鉄の年度別成績
01年7月、神奈川県大会の慶応湘南藤沢戦で12奪三振と力投する横浜商・山口
01年7月、神奈川県大会の慶応湘南藤沢戦で12奪三振と力投する横浜商・山口
02年2月、ダイヤモンドバックスとマイナー契約した横浜商の山口
02年2月、ダイヤモンドバックスとマイナー契約した横浜商の山口