2015年(平27)に球界初の女性オーナーに就任したDeNA南場智子氏(56)。以降、セ・リーグの団結は非常に強くなったといわれる。しなやかで、でも心(しん)の強さを感じさせる立ち居振る舞いが共感され、球界で確かな存在感を放っている。飾らない言葉たちの中に、経営者の鋭い視点と豊かな人間味が同居している。

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「え!? まだ追っかけてたの?」。横浜球団買収が再燃したのは11年の秋ごろだった。ディー・エヌ・エー創業者の南場は、幹部の春田真と守安功の2人の言葉に驚きを隠せなかった。買収劇が表面化する1年前の10年、1度水面下で動き、立ち消えになっていたからだ。

南場 当時、ディー・エヌ・エーの幹部が私と春田と守安。春田が2人に向かって球団を買収したいと言ったとき、私は「そんな派手なことしないで、本業で地に足つけてやろうよ」と言いました。欲しくても取得できるものではないですし、実際その年は途中で頓挫しました。

11年6月、南場は闘病中の夫の看病を優先するため、社長を退任した。非常勤の取締役となり、自宅にビデオ会議システムを設置し、リモートで参加。その席で買収の話が再度持ち上がる。ある会議の後、春田から「今度はうまくいきそうだ」と言われ「何が?」と聞き返した。「ベイスターズです」。再び動きだしていたことを知る。

南場 私は基本的には任せる方針でいましたが、その場で2人にいくつか気になるポイントを確認しました。私たちには球団経営の経験がない。本当にできるのか? 経営していける体力はあるのか? 本業への影響はどれほどなのか? 彼ら2人はすべての質問にしっかりと答えることができた。2人の覚悟を聞いてから、春田を中心にして進んでいきました。

99年創業のディー・エヌ・エーは、パソコン・携帯電話が普及し急速にデジタル化へと変化する時代の中で、モバイル向けサービス「Mobage(モバゲー)」の運営で急成長を遂げていた。04年に近鉄とオリックスの合併によって端を発した球界再編では楽天が新規参入し、ソフトバンクがダイエーを買収。セ・リーグではIT企業による球団買収は初めてのことだった。

スポーツとはかけ離れているようなITの世界。プロ野球球団買収によって一気に、点と点が結びつこうとしていた。DeNAは画期的な最先端技術を駆使し、開幕戦にドローン80機による演出をするなど、今でこそ融合によって球団運営の新たなモデルとなっている。ただ、その融合の過程には賛同もあれば反対の意見もあった。

「紆余(うよ)曲折ありました」(南場)。実行役の春田が水面下で当時の親会社・TBSと交渉。平成最後の買収劇は、時代背景を象徴するようにIT企業によって、スピーディーに進んだ。

そのとき南場が向かったのは、読売新聞社渡辺恒雄主筆のもとだった。(敬称略=つづく)【栗田成芳】

◆南場智子(なんば・ともこ)1962年(昭37)4月21日、新潟市生まれ。新潟高から津田塾大を経て86年にマッキンゼー・アンド・カンパニー入社。88年から米ハーバード大経営大学院に留学。96年マッキンゼー・アンド・カンパニーの役員就任。99年に同社を退社しDeNAを設立。11年11月、DeNAがプロ野球横浜ベイスターズの筆頭株主となり、横浜DeNAベイスターズが誕生。12年から新規参入。15年1月に同球団オーナー就任。

<DeNA参入までの経緯>  

◆10年10月 横浜親会社のTBSが住宅設備大手の住生活グループ(現LIXILグループ)と売却交渉を行っていることが判明。本拠地の移転問題などが原因で同27日に交渉決裂が発表。

◆11年10月1日 TBSホールディングス石原社長が複数の企業と球団売却交渉を進めていると認めた。

◆同18日 巨人渡辺球団会長が、横浜の売却先がDeNAで決着するとの見解を示した。

◆同19日 DeNAが「交渉中であることは事実」と認めた。

◆同26日 巨人渡辺会長が、球団名に「モバゲー」を入れることに対して「協約上、無理」と発言。

◆同11月4日 DeNAがTBSホールディングスと球団譲渡で正式合意。「横浜DeNAベイスターズ」としてNPBに加盟申請。

◆同12月1日 オーナー会議でDeNAへの横浜球団譲渡が正式に承認。(役職は当時)

9月、オーナー会議の会議場に入るDeNA南場智子オーナー
9月、オーナー会議の会議場に入るDeNA南場智子オーナー