全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える今年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫る「監督シリーズ」の第14弾は、高崎健康福祉大高崎(群馬)の青柳博文さん(45)です。7年のサラリーマン生活をへて、指導者の道に飛び込み、11年夏に甲子園初出場。見る者を驚かせる好走塁や起動力を、甲子園で何度も披露することで「機動破壊」のスローガンを全国にとどろかせました。

 甲子園には春夏で計6回出場し、通算13勝を挙げました。高校野球の新時代を担う旗手として注目されています。青柳さんの物語を全5回でお送りします。

 3月9日から13日の日刊スポーツ紙面でお楽しみください。

 ニッカンスポーツ・コムでは、連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。

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 「例えるとすれば、青柳監督にとっての監督とは何ですか?」。取材の最後、私はそう尋ねた。

 「人事課長でしょうか」

 青柳監督は笑顔で返答した。「健大高崎には私を含め、12人のスタッフがいます。組織作りやスタッフをまとめるのが、私の大事な仕事だと思っています」と加えた。大学卒業後、7年間の会社員生活で得た経験と監督経験から導いた答えだった。

 青柳監督 極論を言えば、監督は何もしなくてもいいんです。監督の言葉でコーチが遠慮したら、意味が無いですから。会社だって、そうじゃないですか。いい会社は部下がしっかり仕事してると思います。

 青柳監督は取材に際し、膨大な資料とデータを用意した。150ページにも及ぶ門外不出の「セイバーメトリクス」の成績集、継投策の資料、指導者講習会向けに作った資料など、数々の取材データが机に並べられた。資料は補足説明の材料で有効活用。「コストや無駄のカットは当然ですから」と会社員生活で培った無駄を省くスタイルは、取材時も同じだった。

 青柳監督は「健大高崎」の野球を語る上で3つの要素を挙げた。1つ目は「機動破壊」、2つ目は「セイバーメトリクス」、3つ目は投手の「継投」。毎年、コンスタントに勝つために作り上げたものだった。膨大なデータと研究、考えや思いを聞けば、積み重ねた時間と苦労の大きさがはっきりと映った。

 取材を通じ、意外な一面にも触れた。ベンチやグラウンドの姿から、クールな印象が強かったが、中身は人情味あふれる野球人だった。創部当初、部員たちが学校外では健大高崎の野球部員であることを隠す姿をを目撃した時には「弱いから、誇れないんだ」と涙を流した話を聞いた。

 02年の創部からチームを指揮し、4月で17年目を迎える。全国レベルに押し上げた今も、青柳監督は挑戦する心を大事にする。

 青柳監督 リスクを恐れたら、何も始まりません。常識を“破壊”しながら、信念を曲げずにやる。私は新しいものに挑戦していきたいです。

 かつての高校野球ではスパルタが普通だったが、時代は変わった。「機動破壊=セオリー破壊なんです」。青柳監督は試行錯誤する中で新たな指導者の姿を構築した。【久保賢吾】