初出場の折尾愛真が日大三に大差をつけられていた。試合の行方は決まっていた。それでもOBの麻生浩司さん(29)は念じていた。「粘りの愛真、粘りの愛真…」。8回、2番斉藤が左翼に放物線を描く。三塁側アルプス席で意地の2ランを見た。「後輩たちは最後まであきらめなかった。あの得点は大きい。今まで積み上げてきたものを感じた。こみ上げてくるものがあった」。創部15年目で甲子園に歴史を刻んだ。

 女子校から03年に共学となり、翌年に野球部が誕生した。女子部員1人を含む5人でのスタート。麻生さんは部の1期生で主将を務めた。創部元年の練習環境はまだ整っていなかった。教職員の駐車場の一角で、キャッチボールや手でゴロを転がし、守備練習をした。学校近くの公園も借りた。狭いため、打撃練習はトスバッティングが精いっぱい。打つ楽しみを味わわせたいと、ある日、奥野博之監督(48)がフリー打撃を試みた。「考えて打てよ」という言葉も加えて。しかし、打球は60メートルほど離れた壁をあっさりと越え、道路に飛び出た。フリー打撃は1日だけで終わった。

 翌年に下級生が入部。1期生5人で話し合った。「先輩だからといって横着はやめよう。自分たちが大変だったことを忘れないためにも。後輩たちが受け継いでくれたらいいね」。率先してグラウンド整備も行った。そして待望の練習試合にも臨んだ。大敗の連続。2年夏に初めて出場した福岡大会も初戦でコールド負け。それでも喜びがあった。「苦しいこともあったけど、僕は楽しかった」と麻生さんは振り返る。

 しかし1期生最後の夏は突然、終わった。06年7月12日に苅田工との1回戦を予定していた。その数日前、練習場への出発時間になったが、奥野監督が来ない。3年生の5人が教官室に呼ばれる。「こういうことになって申し訳ない」。指揮官は深々と頭を下げた。4月に、2年生部員が行き過ぎた指導で1年生部員に暴力を振るったことが判明。学校は出場辞退を決断した。「(事態を)知らなかった」と麻生さんは言う。5人は泣いた。それでも部室に戻ると明るく振る舞った。「俺たちがくよくよしても、後輩たちに悪い。明るく、楽しく終わろう」。下級生と写真を撮り合った。これが「引退」の日になった。

 1期生の3年間は波乱に満ちていた。しかし、それは間違いなく、折尾愛真の原点になっている。麻生さんら5人は、卒業後も時間があれば、グラウンドに姿を見せた。「僕たちみたいな思いはさせたくない。先輩、後輩は仲良く。暴力はいいことではない」。小野泰己が同校初のプロ選手として阪神に入団。この時、居酒屋で行われた祝宴に麻生さんも参加した。野球部のタテの絆は固い。春夏通じて初の甲子園で後輩たちは勝てなかった。それでも麻生さんは感謝する。「こんなに早く甲子園に連れて来てもらった。いい思いをさせてもらった」。消えた夏から12年。1期生の思いは受け継がれていた。【田口真一郎】