呼び名の変遷がおもしろい。大昔は投手の分業制が不明確で、先発投手がリリーフに回るのは当たり前。そんな時代から、最後を任される投手が出現、確立された。最初は「抑えの切り札」とか「守護神」と呼ばれた。そこから時を経て「ストッパー」に。そしていつの頃からか「クローザー」に。実にカッコよく呼ばれるようになった。

日刊スポーツに入社して、野球記者になって初めて担当したのが南海ホークスだったが、当時は野村克也の兼任監督時代。そこに現れたクローザーが江夏豊で、あとは佐藤道、金城基らを取材。そののちに広島駐在になり、そこでブレークしたのが「炎のストッパー」といわれた津田だった。対戦チームにも強烈なクローザーがいた。大魔神佐々木はメジャーでも、魔神ぶりを発揮した。

そんなクローザーの歴史に岩崎が名を残すことになった。10月1日の広島戦。3点差の9回に登板。2点を失ったが、何とか逃げ切り35セーブ目をマーク。これでセーブ王のタイトルを確定させた。

阪神の左腕のセーブ王は1977年の山本和以来、46年ぶりとのこと。今シーズンのスタートを振り返れば、なかなか想像もできなかったタイトル奪取だった。

監督の岡田彰布は早くから岩崎の起用法について、セットアッパーにと決めていた。それまでネット裏から見ていて、長年の勤続疲労があり、彼を生かすにはクローザーではなく、セットアップと判断。そこに湯浅というクローザー候補が出現。岩崎の存在感は少し薄らいだのは事実だった。

ところが湯浅が故障で長期離脱することになる。困った岡田は、ここで実績、キャリアを重視。新たなクローザーを作るのではなく、岩崎に代役を任すことに決めた。

期待より不安の方が大きいスタートだったが、岩崎は黙々と役割をこなした。バッタバッタと三振を取るわけでもない。強固な決め球があるわけでもない。だが岩崎は自分のテンポで打者を仕留めていく。捕手からボールが返ってきたら、すぐに投球動作に入る。迷いのないリズムを崩さなかった。

もし岩崎がいなかったら…、チームはガタガタになっていたはず。クローザーは簡単に生まれるものではない。岡田は過去の経験からそれをわかっていた。だから困った時の岩崎。ここに行き着き、岩崎がそれに応えた。セーブ王のタイトルは、チームの窮地を救ったご褒美といえよう。

46年前のセーブ王。山本和は実に個性的だった。言いたいことを隠さず口にした。遠征先でのこと。宿舎ホテルのロビーで深夜、山本和と偶然に会った。少し酔っていたのか、彼は積もった不満を明かしてきた。「投手というのはデリケートなんだ。キャッチャーによって、大きく変わる。ウチもキャッチャーが違うかったら、オレももっと勝てているよ」。平気でこんなことまで言い放った。当時の捕手は若菜。この山本和発言を伝え聞いた若菜が激怒したことを覚えている。

そういった直情型が多いクローザータイプにあって、岩崎はまるで違う冷静型。最後を締めた際、オーバーアクションを見せるクローザーが多い中、岩崎はそっと拳を握る程度で、極めておとなしめ。それが逆に頼もしさを大きくする。

「MVP候補」に名が挙がるのも、ただただ数字だけでない部分が評価されているのだろう。緊急事態での出動となった経緯。コツコツとこなした尊さ。これが岩崎の真骨頂。「岩崎ではもうクローザーは難しい」といった風評を晴らした。これが彼の誇りだったに違いない。だから、おめでとうと伝えたい。【内匠宏幸】(敬称略)