最後も強振だった。2点を追う9回。高蔵寺(愛知)の最後の打者、正辻健人内野手(3年)の力強いスイングが空を切り、ゲームセットになった。

愛知に3-5と善戦。小柄な正辻は一時同点2ランも放った。打ち勝つ野球を掲げてきた安藤亮監督(59)にとっては20年の指導者生活の集大成。来年3月の定年を前に、今大会で監督を退く。ミーティングでは「3年間やってきたことを出し尽くせたな。野球で鍛えた不屈の精神とたくましい肉体で、これからも生き抜いてくれ」と伝えた。

バントはさせない。盗塁や細かいケース打撃も望まない。この試合で出した指示は、最終回の代打に出た俊足選手に「セーフティーバントしてもいいよ」だけ。選手にはこう言ってきた。「投手と打者のシンプルな勝負を見せてくれ。野球は投手対打者。抑えた、打ち崩した。その差で勝ち負けが決まるんだ」。

日体大卒業後は特別支援学校に務め、高校の教員になったのは39歳のとき。春日井商、母校の春日井、瀬戸窯業を経て17年秋から高蔵寺の監督になった。

「以前は監督の采配で勝ってやろうなんてカッコつけていました。いろいろやってきましたが、先が見えてきて、野球の見方が変わった。ここまで『徹底』してやらせているのは、高蔵寺からです」。

「徹底」の中身はシンプルだが、過酷だ。打ち勝つためにはまず体作りと、選手には2日に1度のウエートトレを課し、数値も細かくとって逃げ場をなくした。1年生はウエートのフォーム作りに3カ月かける。年間通じて負荷をかけ続け、公式戦中でも筋肉痛が残るほど。今大会も1週間前まで追い込んだ。

「野球が好きで入ってきたのに、つらかったでしょうね。体作りは苦痛をともなうし、時間もかかる。歯を食いしばって吐き気をもよおしながら、限界ギリギリまでやります。体を鍛える中で、強い精神力も身につく。人間の面でも成長できる」。自らも追い込むために、200万円かけて自宅にトレーニング器具を入れた。

決して能力の高い選手がいるわけではないが、卒業後も野球を続けてほしい願いがある。自身の在籍時、日体大の野球部には甲子園経験者も多かった。野球をよく知っていても、結局打てないと使ってもらえない現状を見てきた。「少年野球で毎日振り込んで手にマメを作っても高校ではバントばかり。バントだけうまくても大学、社会人では使ってもらえない」との信念がある。

定年後も、他校で監督復帰できる選択肢はある。「まだ元気なんでね。やりたい気持ちもありますが、ひと区切りです。野球少年たちが3年間で目つき、顔つき、体つきがたくましく変わっていく。それが楽しみで」と穏やかに笑った。【柏原誠】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)