05年、優勝を決めた巨人戦でシーズン最多登板を達成した藤川球児(2005年9月29日撮影)
05年、優勝を決めた巨人戦でシーズン最多登板を達成した藤川球児(2005年9月29日撮影)

藤川球児の引退会見はやはり胸に迫るものがあった。星野阪神優勝の03年を代表する顔が金本知憲なら05年岡田阪神のそれは球児だろうと思っている。その05年当時の担当記者が書いた記事が忘れられない。

当時はデスクだった。記者の書く記事をチェックしたり、ネタを吟味というか「これはええな」「それはいまいちでは?」などと相談したりするのが主な仕事だ。05年、優勝原稿の相談を受けたときは驚かされた。球児がローンを組むのをやめたという話をつかんできたからだ。

当時、25歳の球児は住宅ローンを組んで自宅を購入しようとしていた。一般の感覚なら若いかもしれないがそこはプロ選手。稼ぎのモチベーションにもなる。よくある話だ。しかし球児は思い直し、取りやめたという。なぜ? 記者に漏らした理由はこうだった。

「毎日、投げてるしね。よく考えたら、いつ肩が壊れるかも分からんしね。そうしたら収入もなくなるし。やっぱりローンを組むのやめましたわ」

この日の会見で球児は「いつ肩が壊れてもいいと思って投げていた」と話した。それで当時の話を思い出した。40歳の今だから言っているのではなく25歳のときから本気でそう考えていたことを物語るエピソードだ。プロとはそれほどすさまじいものか。分かっていたつもりだったが球児の覚悟であらためて思い知ったのだった。

将来のことを考えて、自身を鍛え、レベルアップを図る。そうしないと勝負の世界では生きていけない。しかし同時にいざ戦いの場に出れば、これが最後になっても仕方がないという気合を持って全力を振り絞って向かっていく。時代が変わっても結果を出すためのメンタルは同じだと思う。

そう思ってみれば、この試合、阪神もヤクルトも選手はみんな精いっぱいのプレーをしていたと思う。先発高橋遥人の安定ぶりは見ていて本当に頼もしかった。球児より1学年上のヤクルト石川雅規もさすがの粘りの投球だった。いい試合を見せてもらった。

それでも球児が引退会見を行った大事な日に接戦を取った。今後に向け、小さくない出来事だと思う。もちろん物足りない部分はある。それでも真剣にプレーして少しずつ成長して、そして勝っていく。そんな戦いが続くなら楽しめる13連戦になるかもしれない。(敬称略)【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「虎だ虎だ虎になれ!」)

西宮市内のホテルで現役引退発表会見を行う藤川球児(撮影・清水貴仁)
西宮市内のホテルで現役引退発表会見を行う藤川球児(撮影・清水貴仁)