千葉黎明の荒井信久監督(62)が、多彩な経験を生かして高校野球でも頂点を狙う。現役時代は成東高(千葉)では甲子園に届かなかったが、明大、神戸製鋼で日本一を経験。指導者としてもバルセロナ五輪銅メダルに導き、横浜(現DeNA)のスカウト部長などを歴任した。11年4月から指揮を執り、今春は県大会準優勝で関東大会8強。手応え十分で夏に挑む。

 忘れ物を取りに来た。荒井監督は「18歳から千葉を離れっぱなしだったので、故郷への思いもあった」。11年4月、実家の山武市にほど近い千葉黎明の監督に就任した。「今まで出来上がった選手と野球をやってきた。高校生と甲子園に行きたいと思った」。還暦を目前に、自身がかなえられなかった夢を追い始めた。

 船出は苦難の連続だった。グラウンドの右翼付近は雑草だらけ。打球が外野の防球ネットを越えても、誰も取りに行こうとしなかった。学校の敷地内に両翼90メートルの専用グラウンドがあるのに、練習試合はすべて遠征だった。「5年以上前から、近所の方と試合をしない約束になっていた。カルチャーショックでしたね。考えもしなかったことばかり起こった」。すぐに防球ネットを補修し、ホームベースは5メートル後方に下げた。近隣住民に頼み込み、自校での試合が再開。環境整備が改革の第1歩だった。

 野球観も変わった。最も顕著なのはバントだ。「2ストライクになっても、逆にスリーバントのサインを出すようになりましたね」。大学や社会人では、役割を果たせなければ出場機会を失う危機感を持つ。高校生は違った。「すぐスネるし、あきらめちゃう(笑い)。選手を信頼してあげないといけない」。采配に込める思いも強くなった。

 プロに送り込んだ教え子の成功例を話して育成する。明大では元中日川上憲伸氏(41)、神戸製鋼では元西武和田一浩氏(44、日刊スポーツ評論家)を育てた。スカウトとしても、プロで活躍する素材を見抜いてきた。「投手だったらトップが安定しているかなど、いい選手の共通点はある」。プロ入りを目指す右腕エース川口廉(3年)には、川上氏も得意としたフィールディングを含めた総合力の大切さを説いている。

 就任から5年の今春、過去最高の県準優勝。関東大会では常総学院(茨城)を破り、横浜(神奈川)にも7回まで1-2と接戦を演じた。「島君(東海大市原望洋)、藤平君(横浜)と公式戦で当たれたのはウチだけ。前とは違う工夫をしている」と不敵に笑った。「選手には『4000分の1になろう』と言っている。高校でも日本一、取りたいね」。激戦区・千葉から、この夏の主役に躍り出る。【鹿野雄太】

 ◆荒井信久(あらい・のぶひさ)1954年(昭29)3月19日、千葉・山武市生まれ。成東高では主に捕手。甲子園出場なし。明大では4年秋に明治神宮大会優勝。神戸製鋼に進み、77年都市対抗で優勝。86年に現役を引退し、92年バルセロナ五輪代表コーチとして銅メダル。94年から01年まで明大監督。04年から横浜(現DeNA)でスカウト部長。08年はオリックスでスカウトを務め、11年4月に千葉黎明の監督に就任。